「サイン盗み疑惑」の真相

習志野がしたとされる「サイン盗み疑惑」に特化したブログです。その真相を明らかにしていきます。< 続章>「サイン盗み疑惑」の真相は、朝日新聞を筆頭とする在日集団による捏造事件でした。甲子園を「良識ある高校野球ファン=日本人」が、将来の子供達の為に、取り戻さなければなりません。

「在日集団」御用達・左翼政治評論家「片山 善博」と愚民化政策「ゆとり教育」実行犯・韓国の走狗「寺脇 研」から読み解く朝日新聞のイデオロギー

私には、2年くらい前まで、一つの習慣がありました。

週末午前中に地上波で放送されている、いわゆる「政治」番組を録画し、どういうこじつけ(根拠ではない)で政権批判を展開しているのか、チェックしておりました。

全く生産的ではないと自覚しておりましたが、知らないことによる実害が私個人にも現実として生じており、そのリスクを回避するために必須と捉えておりました。

 

新しい習慣となったTwitterでの時事ニュースをチェックしていると、その時の強い不快感が呼び起こされました。

このブログで追求している在日集団とも密接に関連しております。

 -------------------------------
改めて、
株式会社DHC:代表取締役会長 吉田嘉明氏のメッセージ、平成28年2月12日
をご紹介します。

一部抜粋
創業社長は痩せても枯れても本物ですが、時々とんでもない悪がいたりしますので、この点は注意が必要です。純粋な日本人でない人も結構います。
本物、偽物、似非ものを語るとき在日の問題は避けて通れません。この場合の在日は広義の意味の在日です。いわゆる三、四代前までに先祖が日本にやってきた帰化人のことです。
そういう意味では、いま日本に驚くほどの数の在日が住んでいます。①同じ在日でも日本人になりきって日本のために頑張っている人は何の問題もありません。立派な人たちです。問題なのは日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集を作ろうとしている輩です。 

 -------------------------

mainichi.jp

この人物は、まさしく

「在日集団」御用達・左翼政治評論家(広報担当)

そのものです。

その当時、特に、読売・TBS・フジテレビに毎週のように出演し、詭弁を駆使して政権批判を展開しておりました。

その経歴を確認してみます。

 

 片山 善博

生年月日 1951年7月29日(67歳)
出生地 日本 岡山県岡山市東区
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員(自治省
現職 早稲田大学教授
鳥取大学客員教授
所属政党 無所属
称号 法学士(東京大学・1974年)
配偶者 片山弘子(2009年死別)
2010年再婚
________________________________________
第14代 総務大臣
内閣 第1次改造内閣
第2次改造内閣
在任期間 2010年9月17日 - 2011年9月2日
________________________________________
公選第15-16代 鳥取県知事
当選回数 2回
在任期間 1999年4月13日 - 2007年4月12日

片山 善博(かたやま よしひろ、1951年(昭和26年)7月29日 - )は、日本の政治家、元自治官僚。早稲田大学教授。
鳥取県知事(2期)、鳥取大学客員教授、地方制度調査会副会長(第29代)、行政刷新会議議員総務大臣(第14代)を務めた。岡山県岡山市東区出身。

略歴
岡山県赤磐郡瀬戸町(現岡山市東区)生まれ。両親は、ともに教師であった。岡山県立岡山大安寺高等学校、東京大学法学部卒業。1974年、自治省入省。鳥取県庁や国土庁への出向を経て、自治大臣秘書官、自治省国際交流企画官・固定資産税課長・府県税課長などの役職を歴任し、1998年12月に退官した。
1999年4月、鳥取県知事選挙に出馬し、初当選を果たす。鳥取県知事在任中は岩手県知事(当時)の増田寛也や宮城県知事(当時)の浅野史郎らに並び、官僚出身の改革派知事の代表格であった。2004年7月、読売新聞により実施された世論調査では78%の高水準の支持率を記録し、全国47都道府県の知事で1位であった。2003年の知事選では日本共産党も片山を評価し対抗候補を出さなかったため無投票当選となった。
片山知事が韓国に行った時に安重根が書いた掛け軸を買ってきて、県立図書館に掛けていた。これに県庁OBらが反対運動を起こして外させた。
赤崎の道の駅に朝鮮使節の像を片山知事が作ったが、その碑文の中の『日本海』という部分にカッコ書きで『東海』と書いてあった。これも県庁OBらが反対し、東海をカットさせた。
ジャーナリストの上杉隆は訪朝した際、金親子を称える主体思想塔の貴賓室で、共鳴者がサインしていくというノートに片山知事の署名が有るのを確認している知事は県と北朝鮮を結ぶ定期航路就航を目指していた。
2006年12月、翌年の知事選に出馬せず、2期で知事を退任する意向を表明。2007年4月、鳥取県知事を退任した。同年5月、鳥取大学地域学部地域政策学科の客員教授(非常勤)に就任。7月には地方制度調査会副会長に就任。2009年10月から、鳩山由紀夫内閣の下で設置された行政刷新会議の議員を務める。
2010年9月、改造内閣で総務大臣に任命され、初入閣。民間人閣僚の総務大臣は、元岩手県知事の増田寛也に続き2人目(民主党政権では初の民間人閣僚)。翌2011年1月発足の再改造内閣でも留任した。2011年9月、野田内閣発足に伴い退任。

政策・主張
• 2000年10月に発生した鳥取県西部地震に際し、被災者の個人住宅に対し全国で初めて復旧助成(利子補給)を実施した。
• 2002年6月の鳥取県議会一般質問での答弁において、「地方レベルの人権救済制度の必要性」に言及。2005年9月に鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例を可決させたが、人権擁護法案に類するこの条例に対しては反対意見が多く寄せられた。
• 2003年6月、地方分権改革推進会議議長の西室泰三が提出した国から地方に対する税源移譲の実施見送りの意見書に対し、民主的な手法ではないとして、西室が会長を務める東芝製品を鳥取県の随意契約の対象から除外することを示唆した
• 2010年4月、参議院総務委員会に参考人として出席し、「(地方自治体に)一番屈辱的なのが地方債への(国の)関与だ。こんなものは自分たちで決めればいい」と現行の財政制度を批判している。
2007年2月、知事就任以降に1560万円以上の裏金がつくられ、約915万円が飲食などに支出されていたことが発覚し、鳥取県から減給10分の1(1か月)の処分を受けた。なお、片山は裏金作りの手法については「私の知事就任以前の問題」として調査しない考えを示し、自身の就任以前の裏金についても不問とした。
• 2011年4月、NHKの番組内で、日本赤十字社に届いている義援金を政府が差配すると発言。
選択的夫婦別姓制度導入に賛成。「社会の変化に対応して夫婦別姓の選択があってもよい。」「最高裁の判決はこの議論は国会でさらに深めるべきだ、というものだったが、司法の判断があるべきだったのではないか」と述べる。
鳥取自立塾
鳥取県の事業として、地域の自立と再生を目指すことを目的に掲げ、2004年から毎年夏に鳥取県の主催で3度実施された。全国から改革派の首長(現職・元職含)や大学教授などを招き、講演をはじめ分科会やパネルディスカッションを実施。

人物
• 家族は妻、4男2女。2度結婚歴があり、初婚の弘子夫人は2009年7月、悪性リンパ腫により死去した。後妻は鳥取県職員で1度の離婚歴があり、2010年11月に片山と再婚した。6人の子供は全て弘子夫人との間の子供である。
2005年、ベスト・ファーザー イエローリボン賞受賞。

『地域間交流が外交を変える 鳥取-朝鮮半島の「ある試み」』釼持佳苗共著(2003年、光文社新書)

<コメント>

片山知事が韓国に行った時に安重根が書いた掛け軸を買ってきて、県立図書館に掛けていた。

>赤崎の道の駅に朝鮮使節の像を片山知事が作ったが、その碑文の中の『日本海』という部分にカッコ書きで『東海』と書いてあった。

>ジャーナリストの上杉隆は訪朝した際、金親子を称える主体思想塔の貴賓室で、共鳴者がサインしていくというノートに片山知事の署名が有るのを確認している

> 知事は県と北朝鮮を結ぶ定期航路就航を目指していた。

 

丸出しです。

この人物をテレビで見ることがあれば、上記を前提に解釈しなければなりません。

在日集団の広報担当です。

 

 

-------------------------

 

私が大事にする家族、二人の子供がその人生をぶちこわされた「元凶」は「ゆとり教育」でした。(現在、長い時間をかけてその修正の努力を続けています)

 

この在日集団が仕掛けた愚民化政策と、悪い巡り合わせで「K」のDNAを持つ人物が関わることになると子供達の人生は確実に破壊されることになります。

 

>本気で物事をモノにする時は、確かに楽しんでやるのはいい事やけど、たまには乗り越えないといけない壁もある。
楽しみと苦しみの繰り返しで上手くなるもんだ。根性論が全てでは無いが、ある程度の技術が備わった者同士の戦いになった時に、勝負の差を分けるのは最終的には根性の部分だ。
本当にこんな若い人が増えて国際競走の中で勝ち抜いて行けるのか?
裾野を広げるために中途半端なメンタルの子供を量産する事に一体何の意味があるのか??

 

同感です。
かつての「ゆとり教育」同様、愚民化政策と同じ臭いがします。
指導者の質や、度を超して熱くなる親は、別に切り離して考えるべきです。

-------------------------

「ゆとり教育」をWikipediaで見直してみました。

どうにでもとれる準イデオロギーが乱れ飛び、保守のまっとうだったはずの見解が、簡単に左翼に逆利用されている状態で訳が分かりません。

 そのため、この時期に起こっていたことを私の経験からお伝えします。

まず。驚いたのは運動会の変質ぶりでした。

単純な徒競走はリレーを除き全廃。走っている途中に「くじ引き」があり、その運不運で順位が決定します。

これが当時の教員が考えついた「平等」です。

 

更に、子供がボランティアの少年サッカーチームに入団したことをきっかけに、コーチ(JFA指導者ライセンスを後に取得)をすることになりました。

私はこの少年団の中枢に近い位置におりましたが、実は、「この時期でも勝つ喜びを味わう中で育成し、将来壁にぶち当たってもそれに負けない精神を身につけて欲しい」と考えていたコーチは少数派でした。

多数派は「勝利は二の次で、子供に寄り添った指導(基礎のみ)に限定する」でした。

小学校低学年に対しては異存はありません。

が、高学年になるにつれ、相手チームは戦略・戦術を持って試合に臨みます。

そのため、選手は今しているドリブルが次に何に繋がるか分からず、ただただボールを持って個人プレーを続けるだけになります。

私を含め中枢にいたコーチがサポート役に回った事により、今まで沈黙していた多数派が起こした意趣返しなのでしょう。

また、この連中がしたことは、父兄の洗脳です。

非公式の飲み会を定期的に行うことで、この連中の思考による「結束」を固めていたのです。

少数派がサポート役に回った理由は、子供にすり寄るけじめのない空気を抑えることが目的でしたが、団長が「存続」に舵をとる変質ぶりを露呈し、私は子供が卒業してもコーチを続けることを望む幹部の気持ちに応えることを断念しました。

その後もおつきあいを続けたコーチ達によると、

・ 親の負担となる行事を全廃し、お手伝いについても父兄の意向を丸呑み

したそうです。

朝日新聞の言うところの親による過大な負担ということになるのでしょう。

先進的な少年団と言うことになりそうです。

 

この少年団はボランティアです。コーチ(ほとんどがサッカー経験者)も手弁当で土日のほとんどを費やしていました。

選手の親が子供の成長のためにサポートすることが「悪」とされる風潮が今から10数年前にも、「ゆとり教育」の中、起こっていたわけです。

 

では、この「ゆとり教育<狭義では2002年度から2010年代初期まで>」実施の首謀者がどういう人物か確認してみます。

前川 喜平の擁護者として、その時の肩書きを伏せる、反日テレビ局の配慮で、頻繁に地上波に出演しておりました。

 

f:id:otonarashino:20190711142517p:plain


てらわき けん
寺脇 研
生誕 1952年7月13日(66歳)
日本 福岡県福岡市
出身校 東京大学法学部
寺脇 研(てらわき けん、1952年7月13日 - )は、日本の元文部官僚京都造形芸術大学教授。映画評論家。官僚時代にはゆとり教育の広報を担った文部省NO.1の論客でならした。福岡県福岡市出身。

経歴・人物
当時九州大学医学部講師で後に鹿児島大学医学部小児科教室教授となる医師・寺脇保の長男として生まれる。母方の祖父も小児科学の医師で九州大学医学部長や九州大学総長、久留米大学学長等を務め勲一等を受けた遠城寺宗徳。遠城寺は父・保の師でもある。10歳まで福岡で過ごした後、父の鹿児島大学医学部への赴任に伴い鹿児島県に転居。
1965年、ラ・サール中学校に首席合格(中学の同級生に俳優・タレントの池畑慎之介(ピーター)がいた)。1971年にラ・サール高校を卒業後、高校卒業時の成績は250人中230番台であったが、卒業式では卒業生総代として答辞を述べた。その内容は
中学から入った150人の生徒は、卒業時は120人になった。成績の悪い生徒を追放して実績をとる。それでもこの学校を素晴らしいと言えるのか。
というものだったため、翌朝の地元紙には「造反答辞」と報じられた。高校卒業後は現役で東京大学に入学、法学部に進学した。
1975年、東京大学法学部を卒業し、文部省にキャリア官僚として入省し、1992年には職業教育課長就任。広島県に教育長として出向(1993年-1996年)した後、文部省に復帰した。事務次官有力候補者が任命される官房三課長には就かなかったものの、大臣官房政策課長を経て、いわゆる中二階ポスト(局次長・審議官・部長)である大臣官房審議官(生涯学習政策担当)に就任した。この間、同省の推進した「ゆとり教育」政策に関して、マスコミの前面に出て同省の見解を説明するスポークスマン的な役割を担った。
2002年、大臣官房審議官から外局である文化庁文化部長に異動となった。2006年4月、同省の事務方より退職勧奨を受けるが、小坂憲次文部科学大臣に慰留されたこともあって辞職せず、中二階ポストから寺脇のために新設された課長級に当たる大臣官房広報調整官に就任するという異例の降格人事となった。その後、2006年11月10日付で文部科学省を辞職した現在は東大卒の元文部官僚との冠付きで関西ローカル番組によく出演している。この他、北海道芦別市にある星槎大学通信制課程共生科学部の客員教授も務めている。
教育の「専門家」
文部省・文部科学省在任中は、初等中等教育政策に深く関わったことから、教育に関する著作が数多い。また、在任時には「ミスター文部省」と呼ばれていた。
そのため、「ゆとり教育」を中心としたこれら一連の政策への批判が高まるとともに、個人としても批判を受けることが多くなった元産経新聞論説委員の高山正之からは、小尾乕雄・鳩山邦夫と並んで、日本の教育を崩壊させた張本人だと批判されている。
2002年の文化庁への異動は、文部科学省が批判をかわすためであったが、文化庁への異動後も「ゆとり教育」肯定の立場から発言を続けた。
2006年の文部科学省退官直前には、「今後も教育や文化について、民間の立場から取り組んでいく」と述べている。その後は「ゆとり教育」推進の立場からの発言や著作を続けた、2009年からはNPOカタリバが主宰する高校生支援・キャリア学習プログラム「カタリバ大学」の学長を務める。また2007年には、在日コリアンの子弟を主な対象とするインターナショナル・スクールコリア国際学園の設立準備委員に就任し、開校後は理事を務めている。ちなみにこの学校は、3ヶ国語の育成や大手進学塾との提携をしている。また、朝鮮学校の高等学校等就学支援金対象除外に反対する「無償化連絡会大阪」の賛同人も務めている。同年からは京都造形芸術大学でマンガ学科の教授に就任した。9月にはゆとり教育の見直しが進んでる状況に自身の現場経験から沈黙を破り異議を唱える本を出版した。
2017年の文部科学省における再就職等規制違反という天下り問題では官僚を早期退職させる仕組みが原因だとして、(1) 官庁が再就職に関与すること (2) 本人が在職中に求職活動をすること (3) 再就職した者が離職後2年間の期間に元勤務した官庁に働きかけをすること――の3点さえ守れば再就職は許すべきだとして、騒いでいる人は問題視しすぎとしている。さらに国立大学法人(従来の国立大学)への現役出向まで「天下り」として禁止すべきだと主張した自民党議員を国立大学法人を含む独立行政法人への現役出向は合法なのに感情的になっているとして批判した。
映画評論家
本人によれば、1975年から映画雑誌から原稿依頼が来るようになる。「キネマ旬報」にも「映画評論家」の肩書きで寄稿するようになった。1987年からは月刊の個人ミニコミ『B級映画映画評論家通信』を発行し公開された日本映画全てを批評して、3冊の著書にまとまるなど映画に関する著書もある。そのため、マスメディアには映画評論家としてコメントを寄せることも少なくなく、文部科学省在職時代から、日本映画映像文化振興センター副理事長に就任している。
観る映画は日本映画だけと公言していたが、1995年にあきた十文字映画祭で寺脇にとって約30年ぶりの外国映画となる韓国映画を4本鑑賞し、急に韓国映画を観るようになり、2003年から2007年まで4年間で250本の韓国映画を鑑賞。『キネマ旬報』誌では「映画が〈日韓〉をつなぐ」を連載した。洋画についてもほとんど観ていなかったが、2008年になって本格的に観るようになったという。
映画を通じた日韓の文化交流にも当たっている。2004年に文化庁が主催して韓国で開催されたイベント「日本映画:愛と青春」(1965年から1998年に発表された日本映画46本を上映したもの)は、文化庁に在職していた寺脇が中心となって進めた企画だといわれているが、黒澤、小津ら、巨匠と呼ばれる監督の作品をあえて排し、日活ロマンポルノに属する作品を入れるというラインナップが物議をかもした。
日活ロマンポルノ評と取材を通じて、映画監督の根岸吉太郎と脚本家の荒井晴彦と懇意になり、荒井が発行人を務める『映画芸術』誌の運営に2009年から協力。寺脇が在籍する東北芸術工科大学に映像学科が新設される際には、教授と学科長として根岸を招聘した。
ロマンポルノ映画以外にも、国内で公開された「ピンク映画」の全作品を長期間フォローし、評論したことでも知られる。
落語評論家
一般社団法人落語協会外部顧問。かつて存在した女子大生サークル「エンピツむすめ」によるキャンパス向けフリーマガジン「らくご☆まがじん」顧問。
現在、寄席情報誌『東京かわら版』に連載「演芸ノ時間」を持つ。
2009年12月12日に内閣総理大臣(鳩山由紀夫)や仙谷由人行政刷新大臣(のちの国家戦略大臣)と会食した際に、「落語評論家」の肩書になっていた。
2015年7月29日~2015年8月2日まで、新宿・SPACE雑遊で舞台「ゴールデン街★青春 酔歌 ~オヤジん夢は夜ひらく~(作:高橋郁子、演出:酒井晴人)」を企画・プロデュース。交友のある落語家の桂扇生・ 立川談幸・初音家左橋を中心にしたキャストで上演された。また、同作は2017年7月26日~30日まで新宿シアターモリエールで再演、上演前の寺脇とのトークでは松尾貴史・青木理・望月衣塑子・前川喜平が日替わりで登場した。

『韓国映画ベスト100 「JSA」から「グエムル」まで』(2007年、朝日新書)

『憲法ってこういうものだったのか!』(2008年、ユビキタ・スタジオ)共著:姜尚中
『コンクリートから子どもたちへ』(2010年、講談社)共著:鈴木寛
• 『民主政治のはじまり 政権交代を起点に世界を視る』(2010年、七つ森書館)共著:山口二郎、寺島実郎、西山太吉、外岡秀俊

 

-------------------------

<コメント>

中韓のハニートラップなどで調略された(弱みを握られた)官僚が、日本の将来を危うくする政策を立案・実行する事がどれほど日本の国力を弱めるられるか、の代表例だと考えております。

 

>急に韓国映画を観るようになり、2003年から2007年まで4年間で250本の韓国映画を鑑賞。『キネマ旬報』誌では「映画が〈日韓〉をつなぐ」を連載した。

*日本映画界、特に映画監督の惨状(在日支配)はアカデミーの惨状に匹敵する

2006年11月10日付で文部科学省を辞職した。

2007年には、在日コリアンの子弟を主な対象とするインターナショナル・スクールコリア国際学園の設立準備委員に就任し、開校後は理事を務めている。ちなみにこの学校は、3ヶ国語の育成や大手進学塾との提携をしている。また、朝鮮学校の高等学校等就学支援金対象除外に反対する「無償化連絡会大阪」の賛同人も務めている

 

この人物が、退官後身を寄せたのが、

インターナショナル・スクールコリア国際学園

であり、2002年度に「ゆとり教育」が動き出したタイミングで、熱烈な韓国愛を隠そうとしなくなったことが分かります。

 

 

確信を持って申し上げてきましたが、

現在、朝日新聞がそのイデオロギーを忠実に信仰して、実行しようとしているのは、

高校野球を通じた「ゆとり教育」の再現です。

連中が作り上げた神話は、準イデオロギーに彩られた美談にあふれており、情弱を扇動する条件が整っています。

事実、圧倒的にその扇動に乗せられている状態です。

 

読者の皆様に、この危機的状況を抑える具体的な行動(「政治」しか選択肢はありません)を提案する段階に入ってきたと考えております。

既に、布石を打っておりますが、

読者との相性等々、「整合性」に一工夫必要となりそうです。

しかしながら、この日本が置かれている(骨抜きにされている)状況で、完璧なものなどあるはずがありません。

 丸投げではなく、ここでも強い意志と行動力で、より良い形に変えていけば良い、くらいの「柔軟性」が求められることになりそうです。

 

---------------------

ブログを開設してから、37日間が経過しました。

「アクセス解析」とにらめっこを続けております。
Twitter経由でご覧になる読者が、現在は63%です。
明らかに、他の媒体からのアクセスが増加してきました。

読者数は、80、新規で8人増加しました。
ブックマークは、変化なしです。
*特に、「読者数」「ブックマーク」を重視しております。


この読者数の新規増には良い意味で驚かされました。
一昨日の記事で、孤独な戦いを覚悟していることを示唆しましたが、皆様がその覚悟を読み取り、応援してくださっていると受け止めました。
誠に有難うございます。

 

アクセス数は一定の水準から、再び増加傾向に転じましたが、
ここのところ、平均アクセス数を下回る動きが続いております。
色々の見方が出来ますが、高校野球の開幕シーズンにネガティブな話題は好まれない、と捉えております。

しかしながら、多数のアクセスが集中していたときよりも、格段に質が良い、です。

有り難うございます。

 

ブログランキングに登録したことで、他との比較がある程度出来るようになりました。
率直に言えば、開設から今に至るアクセス数だけを見れば、相応の水準と思われます。

私自身が良いサンプルですが、そもそも左翼マスコミにはたいへんな憤りを持っており、そのやり口を熟知しておりました。
ただ、その層が、スポーツ(高校野球)となると「無関心」になり、そこを放置していることがどれほど将来の子供達の国際的競争力(=日本の国力)を危うくしているか、はっきりいってまるで気づいておりません。有識者も同じです。
この層に浸透できるかが、勝負の分かれ目となるでしょう。

Twitterの活用を6/22から開始しました。
ここまで、ブログの記事の「質」に注力しておりましたが、それだけでは「努力」不足と判断しました。

また、6/21PM8に、「ブログランキング」に登録しました。
このブログが、高校野球の事件を扱い、その首謀者が、在日が支配するマスコミですので、「高校野球」「ジャーナリズム」「特定アジア」の3つを選択しました。
ここをきっかけとしたアクセスが増加しておりますが、クリックにご協力いただいている方が、ごく少数です。
*「拡散」のため、ご協力をお願い致します。