このブログは連続性を重視しております。
前回の記事で、銚子商業を取り上げました。
このブログを継続してご覧頂いている読者は、その連続性を理解されていると思います。
結果として、ここのところ低迷していたアクセス数が底を打ち反転しました。
「政治」に踏み込む内容が続いておりましたので、ある意味原点回帰したことによる効果の表れだと思われます。
結論を申し上げますと、
具体的な「政治」的提案は、水面下で進め、より深化したものを提示できるようにする考えです。今は、そのタイミングではない、とういう意味です。
そのため、当面は流れに逆らわず、高校野球を中心とした記事を取り上げてまいります。
ただ、必然的に、大きな流れは変らず、「政治」に踏み込むことになると予想します。
その時期は、早々に訪れるかもしれません。
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<高校野球千葉大会:銚子商16ー0佐倉東>◇13日◇2回戦◇ZOZOマリンスタジアム
古豪・銚子商が令和初陣を飾った。
初回、1死一塁から3番・常世田翔太内野手(2年)が中越え三塁打を放ち先制すると、四球と2本の安打でつなぎ4点を挙げた。2回以降も短打でつなぎ、13安打16得点。5回コールドで圧勝した。
先制打を打った常世田は「ランナーをかえすことだけに集中していきました。逆方向に強く打つことだけを意識していきました」と話した。
銚子商は、春夏合わせ20回の甲子園出場を誇り、74年には豪快な打線「黒潮打線」で全国制覇を達成し人気も高かった。しかし、05年出場を最後に夏の甲子園から遠ざかっている。常世田は地元銚子市の出身で、小さい頃から、その活躍は耳にしてきた。「黒潮打線復活は意識していないけど、今年は(優勝の)チャンスがあると思っている。銚子商を甲子園に連れていきたい」と、目を輝かせた。
沢田洋一監督(38)は「やってきたことをこの舞台で出せる環境が大事。まずは攻撃を高めようとやってきた。でも、黒潮打線復活と言うにはまだまだですよ」と大勝にも気を引き締めた。
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相変わらず、中身の薄い記事です。
責任者が、ジャーナリストを名乗る資格のない「なりすまし」ですから当然です。
この薄っぺらな内容を基準としても、「本質」は分かりません。
>銚子商を甲子園に連れていきたい
子供の発言とは言え、やや違和感のあるコメントです。
選手との接し方が、昭和とは違うのでしょう。
(昭和=時代遅れ
という意味ではありません。この発言はかつての大物OB(土屋・篠塚・宇野etc)でも出来ないでしょう。「銚子商」の重さが伝わっていないようです。
>沢田洋一監督(38)
>でも、黒潮打線復活と言うにはまだまだですよ
ここに、期待するしかありません。
>大勝にも気を引き締めた。
この試合内容を「大勝」と受け止めるようでは、先はありません。
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銚子商業の緒戦をチバテレビで視聴しました
春季県大会で観戦した3試合の記憶がよみがえりました。
3位決定戦:4-7 木更津総合 (観戦せず。木更津総合は2試合観戦していたが、その時点のチーム力では勝てないと予想していた。)
準決勝:2-3 習志野 (走塁が最大のウイークポイント)
準々決勝:6-1 千葉明徳 (観戦せず)
3回線(延長10回):6-5 東京学館 (投手力に課題。サードの守備が弱点。完全な負け試合を那須主将の野球センスが救う。)
2回戦:10-4 市立千葉 (バントミスが目立ち、クリーンナップのチャンスでの淡泊な拙攻(見逃し三振、強振による空振り三振)が続いて、コールド勝ちのチャンスを2度逃す。)
今日の試合は、
解説者:木村雅一氏
千葉県野球連盟(高野連ではない。社会人野球)理事、
現JFEスチール元コーチ、佐野日大⇒日大。
の指摘につきます。
的確に問題点を指摘しておりました。
(流石にプレーヤーとしても経験が豊富な方です。ハイレベルな解説をこの段階で期待していなかったので、良い意味で驚きました。)
①「ランナー1,2塁の場面で、サードではなく、前進守備のファーストにバントした。(結果はサード、フォースアウト)
このようなセオリーを理解しないプレーをしていると、(この先、相手のレベルが上がると)勝てない」
②「(投手が)点差がある(余裕がある)はずなのに、制球が定まらない」
③「4番が打ちたい気持ちが先走り、身体が突っ込んでいる。重心を後ろに残せば見逃せるボール球に手を出している」
相手チームの佐倉東は元女子校で、メンバーは11人。
最近まで陸上部だった選手とまだ身体が出来ていない1年生が複数出場しておりました。つまり、大会参加が目標のチームであり、1回戦を勝ったことで、監督・父兄が達成感を持った中での試合でした。
率直に言えば、実力的に負けることは考えられず、どこまで次に繋がる緊張感を保てるかが課題だったと言えるでしょう。
春季大会での課題を踏まえての感想です。
投手:角田
制球が定まらず、立ち上がりが不安定だった。
緊張感を保つことが難しい試合だった。
3番:常世田
春はムラがあり、良いときと悪いときの差が激しかった。
今日は攻撃面での貢献度大。
緒戦の緊張感を吹き飛ばした。
今後も、「安定感」ある打撃に期待したい。
4番:古井
春からまるで進歩していない。
ブンブン振り回すだけで、4番の仕事「ランナーを返す」の意味を理解できていない。
春では、常世田が悪いときに、古井の淡泊な打撃が重なり、5番菅谷頼みの試合が、まさに緊迫した僅差の試合だった。
(つまり、お気楽な試合にしか打てない。)
菅谷が「投手」として出場すると、どうしても打撃に影響する。
不安を残すスタートとなった。
以下の大会直前の発言がたいへん気ががりだ。
古井敬人選手
「身長が低い分、バットのヘッドスピードにこだわって冬も振り込んだり走りこんできたりしたので、スイングスピードは誰にも負けないようにやってきました。」
思い切りスイングできる理由にはもう一つ理由が…
古井敬人選手
「自分がもし打ち取られても、すごい頼れるバッターだと思うので菅谷に打ってもらえるように声をかけるようにします。」
5番菅谷
春見た中で、No.1の打者。
今日も安定感が感じられるバッティングだった。
今後、「投手」として出場するだろう。
春の時点の投手(扱いはエースだった)としての評価は以下の通り。
・ スピードは平均130キロ程度か。スピード不足は否めない。
・ 緩急をつける意図か、度々スローボールを投げる。初めのうちは良いが、目が慣れてくるとその玉を狙われ、度々痛打されていた。率直に言って「怖かった」。
・ 度胸はある。
・ 先発⇒一塁手⇒抑えのパターンが3試合中2試合だった。つまり、春の時点では(信頼できる)抑えがいなかった。そこを穴埋めできたのかが、この先分かるだろう。
<総評>
幸運だった。
ノーシードの実力校(東海大浦安・拓大紅陵など)が相手なら、緒戦の緊張感と「4年連続で千葉県大会で初戦敗退が続いた」の悪夢が見えないプレッシャーとなり、足下をすくわれかねない試合内容だった。
ただ、今日の相手では、春期大会後の県外の強豪校との練習試合(常総学園など)の成果は計れません。
次戦は古豪対決(成東)を個人的に期待しておりましたが、
成東1-5西武大千葉
が次の相手になります。
ブログを書き進める中で、はっきりと分かりました。
沢田監督は、いわゆる「褒めて育てるタイプ」でしょう。
故斉藤監督のご子息、*俊之元監督
*選手として、1976夏、1977春甲子園出場
監督として、2005年夏甲子園出場。これ以降甲子園に届いていない。
はじめ、周囲のプレッシャーが度を超して、監督を押しつぶしてしまった側面があったことは否めません。
そのため、若い沢田監督に良いも悪いも「一任」しているのでしょう。
推測に過ぎませんが、飴と鞭の「鞭」が温い予感がします。
何事も「程度」が大切であり、
「日本一練習したチームが、日本一になる」
斉藤イズムが継承されているか疑問です。時代の変化が、言い方は悪いが「選手にすり寄る」ことではないと私は考えております。
この点で、今の銚子商はどうなのでしょうか。
「日本一練習したチームが、日本一になる」。斉藤は猛練習で選手を鍛えた。一中時代も指導を受けた木樽(きたる)正明(72)は「練習量はプロ以上だった」と話す。猛練習の理由は根性主義ではなく、緻密な「考える野球」を教えるためだった。
「どうやって点を取り、守り抜くか」。斉藤は常に考えていた。自身も銚商の選手・監督として甲子園に出場した長男の俊之(60)は「父は夜、突然起きて枕元のメモに戦術を書いていた。常に野球のことを考えていた」と振り返る。米大リーグの戦術も研究し、相手校の動きも練習で再現させるほどだった。
練習が長くなったのはさまざまな状況下で、どう動くべきか伝えるため。選手は自然と相手の嫌がるプレーも覚えた。黒潮打線の猛打は打力だけでなく、緻密な攻撃で相手を揺さぶった結果だった。
斉藤の理論は銚子に普及し、プロ並みの複雑なサインも中学校から使われた。各チームのエース、四番が集う銚商はより強くなった。
旭市の中学から銚商に進んだ土屋正勝(62)は「銚子出身者は商業野球にすぐ対応していた。旭とのレベルの違いに驚かされた」と話す。銚子市内からは市立銚子と銚子西(現市立銚子)の二校も甲子園に出場。「斉藤イズム」は銚子の野球レベルを向上させた。
常勝チームづくりのため非情にもなった。夏の甲子園では新チームを見据え、常に複数の二年生がベンチ入り。練習は主力中心で一年次に数十人いた部員が三年次に十人ほどになる学年もあった。土屋は「二年秋にベンチ入りできないと、未来はなかった」と振り返る。
俊之は「監督のときは教員でなく勝負師」と語っていたのを思い出す。「本来は優しい父。でも毎年の甲子園が期待されていた。非情になるしかなかったのでは」と話す。
教育者としては礼儀を重視し、退部する部員には同じく強豪の軟式野球部やラグビー部を紹介するなど、思いやりを持って接した。監督としての実力とともに、人柄でも市民、生徒の信頼を得ていた。
習志野・小林監督の「批判」をよく耳にしますが、
私は、「斉藤イズム」に現在最も近いのは、実は、習志野・小林監督、だと考えております。
故斉藤一之氏とライバルとして死闘を繰り返した、恩師の習志野元監督、石井好博氏が同タイプならあり得る事ではないでしょうか。
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>都城工5―4日章学園(12日・サンマリンスタジアム宮崎)
今春のセンバツでは、初戦で千葉・習志野と対戦。この日と同じ石嶋、寺原のリレーだったが、2―8で敗れた。夏のリベンジを目標に第1シードとしての初陣だったが、大分大会の大分に続く波乱の幕開けとなった。
昨日、日章学園が緒戦で敗れる波乱がありました。
星稜・林の愚行と、それをこじつける在日集団による印象操作のため、サイン盗み騒動に巻き込まれた「犠牲者」の一つでした。
そして本日、選抜優勝校・東邦がよもやのコールド負けをしました。
コメント欄は1026。衝撃度が伝わります。
>参加校が最も多いのは愛知の188校で、181校の神奈川、174校の大阪、163校の千葉、161校の兵庫と続く。最少は鳥取の23校だった。
激戦区の怖さをまざまざと見せつけた出来事でしょう。
たかだか44チームの石川県の有力校に過ぎない星稜を「優勝候補筆頭」とするマスコミの報道がいかに現実離れしているか呆れるばかりです。
在日集団の「願望」に過ぎません。
明徳義塾・馬淵監督が、明らかにした
「 甲子園が究極の「勝負の世界」であることを天下に示した」
こそが高校野球の本質なのです。
結果論は控えたいと思います。
愛知が激戦区であり、愛工大名電、中京大中京、享栄、東邦の愛知私学4強のみならず、上位を虎視眈々と狙う、今は全国区ではない隠れた強豪が顔を出したに過ぎないようです。
>2015年4月、星城に愛知の名指導者が監督に就任した。それが現在も指揮を執る平林宏監督である。平林監督は豊田西高校の監督として、1998年春の選抜で同校初の甲子園出場に導き、その後も愛知大会決勝へ勝ち進むなど進学校・豊田西を強豪校に育て上げた。
平林監督が、あふれかえる東邦の情報を分析せず、無策で挑むはずがありません。
サプライズではなく、必然だったと考えた方が自然です。
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ブログを開設してから、39日間が経過しました。
「アクセス解析」とにらめっこを続けております。
Twitter経由でご覧になる読者が、現在は65%です。
明らかに、他の媒体からのアクセスが増加してきました。
読者数は、87、新規で5人増加しました。
ブックマークは、変化なしです。
*特に、「読者数」「ブックマーク」を重視しております。
アクセス数は一定の水準から、再び増加傾向に転じましたが、
ここのところ、平均アクセス数を下回る動きが続いておりまたが、
底打ち反転の兆しが出てきました。
現在、多数のアクセスが集中していたときよりも、格段に質が良い、状態です。
ブログランキングに登録したことで、他との比較がある程度出来るようになりました。
率直に言えば、開設から今に至るアクセス数だけを見れば、相応の水準と思われます。
私自身が良いサンプルですが、そもそも左翼マスコミにはたいへんな憤りを持っており、そのやり口を熟知しておりました。
ただ、その層が、スポーツ(高校野球)となると「無関心」になり、そこを放置していることがどれほど将来の子供達の国際的競争力(=日本の国力)を危うくしているか、はっきりいってまるで気づいておりません。有識者も同じです。
この層に浸透できるかが、勝負の分かれ目となるでしょう。
Twitterの活用を6/22から開始しました。
ここまで、ブログの記事の「質」に注力しておりましたが、それだけでは「努力」不足と判断しました。
また、6/21PM8に、「ブログランキング」に登録しました。
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