昨日8/3の記事で、その前日8/2の記事
「#朝日新聞 #野球害毒論 の扇動者「安藤嘉浩」による高野連を通した「ルール変更」正当化の環境作り」
のPV(アクセス数)が低調だったことを記載しました。
それを受けた8/3のPVは、約3倍、に急増しました。
「アクセス解析」を見るとその原因が8/3の記事
「#汚鮮 の象徴「デイリースポーツ」・・・ #ホワイト国 韓国除外の記事から透けてみえる在日記者の存在 #あいちトリエンナーレ」
でなかったことが分かります。
連日に渡る圧倒的掲載数の「星稜、奥川選手、義士・林」の記事と、
コメント欄にはびこる星稜信者の「異常さ」に、多くの高校野球ファンが『???』を持っている表れでしょう。
なんと、ブログ開設3日目の記事
「謹慎中、星稜・林監督は「本当に」反省していたのか?」
が、52%、になっていました。
Yahooのアクセス先にも登場していることから、およそ2ヶ月を経過した段階で、
星稜を取り巻く環境の異常性に気がついた第三波が起こったことが窺えます。
アクセス先ページ
Twitter からよくアクセスされているページ
52%
謹慎中、星稜・林監督は「本当に」反省していたのか?
11%
敗戦を受けた #銚子商 ファンの感想及び『高校野球(銚子商)ファンのご提言』
9%
#星稜 を取り巻く異常な言論空間と石川県と「在日」、友好(浸食)の歴史
5%
ブログトップ
3%
#汚鮮 の象徴「デイリースポーツ」・・・ #ホワイト国 韓国除外の記事から透けてみえる在日記者の存在 #あいちトリエンナーレ
3%
#朝日新聞 #野球害毒論 の扇動者「安藤嘉浩」による高野連を通した「ルール変更」正当化の環境作り
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昨日抽選会がありました。
私もTwitterでその経過を見ておりました。
一回戦から見逃せないカードが目白押しです。
習志野の対戦相手「沖縄尚学」は不気味です。
コメント欄にもありましたが、千葉の代表校が沖縄に相性の悪い印象があります。
もう遠い過去の記憶ですが、沖縄代表のチームは小柄な選手が多く、甲子園での1勝が難しかった時代がありました。
*私が少年時代に「銚子商」を追いかけていた時と重なっておりました
その「常識」に立ち向かったのが、豊見城の栽 弘義監督。
その風貌も記憶にあります。
*この写真を見て、沖縄水産の1990年夏・1991年夏、2年連続準優勝の強力なインパクトを思い出しました。
栽 弘義(さい ひろよし、1941年5月11日 - 2007年5月8日)は高校野球指導者。沖縄県糸満市生まれ。沖縄県立糸満高等学校、中京大学卒。
経歴
1941年、沖縄県糸満市に生まれる。4歳のときに沖縄戦に遭遇し、3人の姉を失い、自らも背中に重傷を負った。 小学生のときに野球を始め、高校球児時代は糸満高校野球部に所属。
当時、夏の甲子園は現在のような一県一代表制は採用されておらず、夏の沖縄大会で優勝しても、九州の学校との決定戦に勝たないと甲子園に出場できなかったため、沖縄勢にとって、甲子園出場は至難であった。しかし、栽が2年生だった1958年夏は、夏の甲子園が第40回の記念大会を迎え、特別に一県一代表制を採用したことから、沖縄大会優勝校が甲子園に出場できることとなった。優勝候補の一角だった糸満高校は準決勝に進出したが、首里高校に乱打戦の末6-8で敗れ、勝った首里が決勝にも勝って優勝し、沖縄勢初の甲子園出場を果たした。結局、栽は選手としては甲子園出場は果たせず、その後中京大学へ進学して指導者としての道を目指す。
大学を卒業した1964年、小禄高校に赴任し、高校野球監督としてのキャリアをスタートさせる。全国に通用するチームを目指して過酷な練習を課したことから度々選手との対立を引き起こしつつも着実にチームを強くし、1970年、初めて夏の沖縄大会優勝を果たしたが、宮崎県代表である都城高校との代表決定戦に敗れ、甲子園大会出場はならなかった。
1971年に豊見城高校に転任し、1975年春、2年生エース赤嶺賢勇を擁して甲子園初出場を果たす。この大会では、大会初日に優勝候補でその年の夏に優勝する習志野を破るなど旋風を巻き起こし、ベスト8に進出したが、準々決勝で原辰徳を擁する東海大相模を相手に、1-0とリードした9回裏2死ランナーなしの場面から逆転サヨナラ負けを喫する。この後、豊見城では、赤嶺や石嶺和彦らを擁し、春夏合わせて6回甲子園に出場し、3回準々決勝に進出(1976年夏、77年夏、78年夏)したものの、ベスト8の壁は破れなかった。
その後、学区制が採用されて選手を集めにくくなったことや、グラウンドその他の設備の不十分さなどから限界を感じ、1980年、全県から選手を集められ、学校が所有する広大な敷地を自由に使う許可を出してくれた沖縄水産高校に転任した。
転任後数年は、比屋根吉信率いる興南高校の後塵を拝したものの、1984年夏に初出場を果たすと、その後は1985年に入学した上原晃の活躍も加わり、1988年まで5年連続で夏の甲子園に出場するなど、黄金時代を築いた。沖縄水産でもなかなかベスト8の壁を破れなかったが、1988年夏に初めてベスト4に進出すると、1990年夏・1991年夏に2年連続で決勝戦に進出、沖縄県勢として悲願の全国制覇は惜しくもならなかったが、2回の準優勝を果たした。
しかし、1992年に不祥事のため夏の沖縄県大会出場を辞退して以降、成績が下降線をたどり、結果として、1991年夏の準優勝以後は甲子園出場は春夏合わせて4回にとどまった(勝利は1996年春の1勝のみ)。 1998年は、好投手新垣渚をはじめ有力選手がそろったことで全国制覇が期待されたが、春夏とも初戦敗退に終わり、結局、この年が栽にとって最後の甲子園出場となった。
豊見城、沖縄水産を率いて甲子園大会には春夏合わせて17回出場(+部長として1回)。
1991年夏の甲子園大会で、当時3年生エースだった大野倫を故障中にも関わらず起用(右肘の骨折を知りながらも投球させた)し、各所からの批判を受けた。
2002年に保健体育教諭を務めていた沖縄水産を定年退職したが、部長としての2勝を含めて甲子園通算29勝だった栽は、節目のあと1勝にこだわり、その後も監督を続けた。
2007年3月13日に心臓の不調を訴えて入院し手術を受けていたが、5月8日に65歳で死去した。
長男は自由ケ丘高校(福岡)野球部監督の赤嶺琢(たくま)。2013年に同校を選手権初出場に導いている。
<コメント>
またもや、このブログを続けていることで、過去に封印されていた記憶が蘇りました。
栽監督が、沖縄高校野球界を変貌させた、といえるでしょう。
息子さんがその遺志を受け継がれておられることも驚嘆させられます。
興南高校とのライバル関係は、まるで千葉における「銚子商と習志野」を彷彿させます。
(個人的には、改めて銚子商の復活を願わずにはいられません。)
選手権における千葉vs沖縄
1978年(第60回大会) 豊見城(3年連続3回目) 2回戦 ○ 3 - 2 我孫子 延長10回
1997年(第79回大会) 浦添商(4年ぶり2回目) 準々決勝 ○ 11 - 1 市船橋
2006年(第88回大会) 八重山商工(初出場) 1回戦 ○ 9 - 6 千葉経大付 延長10回
2008年(第90回大会) 浦添商(11年ぶり3回目) 2回戦 ○ 12 - 9 千葉経大付
2018年(第100回大会) 興南(2年連続12回目) 2回戦 ● 0 - 7 木更津総合
沖縄4勝 vs 千葉1勝
沖縄通算成績:70勝50敗、優勝1、準優勝2
千葉通算成績:96勝75敗、優勝3(習志野2)、準優勝3
選抜における千葉vs沖縄
1975年(第47回) 豊見城(初出場) 1回戦 ○ 3 - 0 習志野
1981年(第53回) 興南(初出場) 1回戦 ● 1 - 3 印旛
沖縄1勝 vs 千葉1勝
沖縄通算成績:28勝31敗、優勝3(沖縄尚学2)、準優勝0
千葉通算成績:43勝37敗、優勝0、準優勝3(習志野1)
<コメント>
選抜における沖縄の戦績は負け越していますが、なんと優勝3回です。
沖縄の躍進ぶりを象徴しているのではないでしょうか。
千葉は春夏共に優勝から遠ざかっており、準優勝6回が示すとおり、あと一歩届かない。
大きく見れば、かつての「野球王国」古豪千葉vs新興強豪県沖縄の構図と言えそうです。
千葉県民としては、古豪扱いから強豪に復活することを願っており、その象徴である習志野がそれに挑むことが熱狂を呼んでいると思われます。
純粋にその戦いを観戦したい中、在日集団に絡まれている状況はただただ不快です。
マスコミの煽り方が、習志野と星稜の「因縁の対決?」を示唆するものが目につきます。
一例です
読売の見出しも「夏の甲子園、星稜の初戦は旭川大・習志野は沖縄尚学と」もほぼ同じです。タイトルが一般的でも、写真は星稜と習志野というものもありました。
サッカーの日韓戦と同じ構図であり、勝っても負けても不快感が続くこと確実で、習志野にはデメリットしかありません。
これは私見ですが、例え奥川投手が実力を発揮しても、旭川大(北北海道)が中盤まで接戦に持ち込めば、充分に勝機があると予想します。
指揮官があのレベルでは、「焦り」がでた場合、負の連鎖(エラー多発)が生じるからです。他県との練習試合がそのことを物語っています。
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