甲子園が「黒歴史」の仕上げ(佳境)に入った頃、ひっそりと春の選抜に向けた戦いがスタートしておりました。
8/20に火蓋を切った「第72回 秋季千葉県高等学校野球大会」 地区予選です。
私には、密かなプランがありました。
本当の意味で気になっていた銚子商新チームの動向です。
【勝利の旗は】千葉県立銚子商業高校83【我を待つ】
によると、
練習試合予定
8/1 茨城県 甲子園1回
8/2 東京都 甲子園10回
8/5 茨城県 甲子園6回
8/7 千葉県 甲子園1回
8/8 千葉県
8/10 群馬県
8/11 神奈川県 甲子園34回
8/13 東京都 甲子園10回
8/17 千葉県
8/28 埼玉県
8/29 東京都 甲子園13回
の練習試合を組んでいるようです。
どの程度の結果を残しているか不明ですが、
市川戦での反省を踏まえて、「短期間に」どの程度新チームを作っているのか、不安と興味が入り交じる状況でした。
特に、投手。
制球難が著しかった宮内君を主軸に据えるつもりなのか。。。
8/23(金)その「密かなプラン」を思いだし、情報を持たない状況ながら、難敵と思える横芝敬愛との試合結果を確認しました。
2019.08.22ナスパ・スタジアム
銚子商 4 - 1 横芝敬愛
決行を決断しました。
場所:「横芝坂田池球場」・・・
初めて聞く球場です。
地理は見当がつきますが、「東総地区」限定の球場なのでしょう。
私の高校野球熱復活は、家族の高校野球に対する関心も高める事になりましたので、家族3名と愛犬を連れて、(試合後の九十九里海岸での海水浴も視野に)早朝出発しました。
試合開始時間の情報がなく、おそらく10時だろうと想定していました。
幸い的中し、犬の散歩をして、9:45からバックネット裏の好位置で観戦しました。
うだるような暑さでしたが、3回くらいから風が抜けるようになり、試合に集中できました。
123456789
多古 000001002 3
銚子商 01020200× 5
青字:夏ベンチ入りメンバー
右 1⑤ 添田(2年) 2ゴロ、3ゴロ、センター前H、左中間ツーベースH
左 2④ 関根(2年) ?(四球)、ホームラン、レフトF、四球
左 3⑥ 常世田(2年) 2ゴロ併殺打、ホームラン、2ゴロ、レフトF
左 4⑧ 加藤(1年) ホームラン、レフトF、レフトツーベースH、三振
左 5③ 山口(不明) 2ゴロ、センター前H、Sゴロ、3ゴロ
右 6② 加瀬(2年) センターF、ライトF、ライトタイムリー(盗塁)、Sライナー
右 7⑦ 鈴木(不明) 2ゴロ、ライトF、レフトタイムリー(×盗塁)
右 8⑨ 須藤(不明) Sゴロ、Sゴロ、Pゴロ
右 9① 宮内(2年) Sゴロ、Sゴロ、1ゴロ
投手成績;
注:8回からの終盤、後部座席にいた多古高校関係者と会話しながらの為、特に8回の記憶が曖昧になった。
宮内(陸) 7回2/3 被安打3、四球3・死球1、自責点1
向後(翔)2年 1回1/3 被安打3、四球1、自責点2
追記;8/26
1 宮内陸 2年 176 匝瑳S 銚六
10 向後 2年 171 千葉F 飯岡
11 宮内啓輔2年 186 銚六
18 柳瀬 2年 171 銚二
19 名内 1年 183 海上
<コメント>
制球難解消の突貫工事がなされたようだ。
球種は、直球とスライダーのみではないか。カーブを投げたかもしれないが、判別不能。いずれにしろ、ほぼ100%が直球とスライダー。
スライダーでカウントを整え、直球を決め球にしていた。
5回までは、時折高めに抜ける「夏の顔」があったが、制球も安定していた。
6回センター前H⇒牽制悪送球⇒三振⇒センター前タイムリー⇒1フライ⇒盗塁死
で1失点。
7回から制球が乱れ、8回先頭打者に死球。ピンチを招き、投手交代、ライトに入る。
9回救援の向後が捕まり、3-5に詰め寄られ、
一死1、2塁でマウンドに戻る。
Pゴロが進塁打となり、二死2、3塁。一打同点のピンチを三振で凌いだ。
攻撃は、唯一1年生で夏にベンチ入りした加藤のホームランで先制。
多古の2投手はよく言えば「技巧派」で、球速は120K程度。
更に遅いスローカーブでタイミングを外す投球だった。
そのため、最悪は「引っかける」打撃。
加藤の逆方向のツーベースは非凡さを感じさせた。
1番添田が最もこの点を理解したバッティングをしていた。
ソロホームラン3本は派手だが、むしろ6回のタイムリーヒット2本を評価する。
<総評>
やはり、投手が1枚足りない。
試合を締められる救援がおらず、一度下げた投手がマウンドに戻らざるを得ない、パターンが続いている。
前向きに捉えれば、よくぞ短期間でチームを作った、とも言える。
常世田を中心に好守備が散見され、守備力の改善が随所に見られた。
<試合後>
銚子商木樽投手世代の多古関係者にお別れの挨拶をして、同じ長椅子のベンチにいた銚子商OBに話しかけた。
*春の準決勝習志野戦で、会話をしたOBがいたからだ。
**試合中、身振り手振りで宮内投手のピッティングを解説していた、銚子商の帽子を被り、炎天下にもかかわらずウインドブレーカーを着た恰幅の良い、オーラを放つOBにも気づいていた。
<抜粋>
>阿天坊OB会長、木樽喝入れ
してくれ!!
*この人物、初めて知りました。
>コロコロ変えてねぇよ練習試合は。練習試合で経験させないでいきなり選手権で使うからいざと言う時に対応できない。みんな干物屋のの責任!
*干物屋???
>あ、最近久々に勝って来てるから宇井野以来に多古戦生観戦しに行ったら干物屋いた!まだいたんだ~って思った。まさか口出しまでやってんの?完全老害だな。木樽は自ら口出さないのに…
*このコメントを見たときに予感がしておりました。
春の準決勝・習志野戦で、同じ列の席で居合わせた、木樽氏の同期3名+その後輩のOB(高校時代の先輩3名の席取りをしていた。先輩3名は試合開始直前に到着した。)
の情景が思い出されていた。
そして、同志のY氏が確信情報を提供してくれました。
阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 - )は、千葉県銚子市出身の元社会人野球の選手(内野手)。
来歴・人物
1965年、銚子商業高3年の時、夏の甲子園では遊撃手としてエース・木樽正明(のち東京,ロッテ)と共にチームの準優勝(決勝で、原貢監督〔原辰徳の父親〕率いる三池工業高に0-2で敗れた)に貢献した。
同年秋の第1回プロ野球ドラフト会議で南海ホークスより2位指名を受けるも入団拒否し、立教大学に進学。入学後すぐの1966年春季リーグ戦では、リーグ三冠王の槌田誠(のち巨人,ヤクルト),小川亨(のち近鉄),谷木恭平(のち中日),秋山重雄(のち近鉄)らと共に「2番・遊撃手」として立大の13季ぶりの優勝に貢献した。
大学卒業後は、1970年から新日本製鐵室蘭でプレーした。
その後、郷里の銚子市に帰り、実家の干物商「干物工房・あてんぼう」を引き継ぎ、代表取締役となった。また、地元のシニア野球チーム「銚子シニア」の会長も務めた。
*銚子商の帽子をかぶっての観戦でした。
一際貫禄があり、「的確な」批評をしながら、時に「嘆いて」おりました。
「あー、それこないだ教えたのに。もう忘れている!」が印象的です。
何十年を経ても後輩として振る舞っていたOBが、私に頻繁に話しかけてきたので、
「今もご指導されているのですか」
「いいえ、現場に任しているので口出しはしていません」
や、秋の習志野戦・木樽氏の現在等の会話をしました。
試合中の的確な批評(問題点を把握している)を聞いておりましたので、
『銚子商が復活するためには、OBの助言を生かすべきだ』
との私の考えに繋がったのです。
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>*春の準決勝習志野戦で、会話をしたOBがいたからだ。
この銚子商OBは、
>木樽氏の同期3名+その後輩のOB(高校時代の先輩3名の席取りをしていた。先輩3名は試合開始直前に到着した。)
でした。
先方は、おそらく銚子商の全試合を観戦しており、私のことは記憶しておりませんでした。
一通り、話しかけた背景を説明した。新チームの「状況」を伺いたかったからだ。
音「市川戦も観戦しました。宮内君はあの試合の2番手でしたね。」
(この後、短期間で矯正したのか尋ねようとすると)
OB「三匹目のドジョウはいませんでした。」
*市川戦の敗戦のこと。2大会連続ベスト4が「ふがいない敗戦」で途切れたショックを未だ引きずられている。無意識だったが、触れてはいけない話題だったのだ。
(話がかみ合わない)
沈んでいる様子を見て、話題を変えた。
音「今日の試合はいかがでしたか」
OB「見ての通りです」
更に触れてはいけない話題だったようだ。一打同点の締まりのない幕切れから、新チームの前途多難を感じているご様子だ。
これ以上の会話は不適切と判断して、その場を去ろうとすると、その様子を見ていた別のベテランOBが話しかけてきた。
音「1965年世代のOBが今でも支えていらっしゃいますね。」
別のOB「1965年?」
音「木樽さんの世代です。」
別のOB「そうです。」
にこりと笑いながら
「さっきの人、江川との試合で決勝点の四球を選んだ長谷川です。」
「それと途中まで観戦していたのが、阿天坊さんです。」
音「OB会長ですよね。存じています。」
背番号4が「長谷川」選手
<2020/3/4 貴重な映像があった>3:45
音、驚きながら、ようやく明るい話題がでたと思い、長谷川さんに話しかけた。
「あの江川の・・・」
長谷川氏「○○○○○○」なにかしら謙遜の言い回しをされた。
おそらくは、記入したスコアブックを携えて、銚子に戻ってから阿天坊氏に結果を報告する役割なのだろう。
誠実な人柄なのは、春に察していたが、重い役目のようだ。
充分に、新チームの「現状」は、理解した。
その後、球場から20分程度のビーチでクールダウンして、家路につきました。
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後記;
帰宅後、習慣となったブログの「アクセス解析」をチェックした。
アクセス数は「余震」レベルであった。
継続しているか否かで、次の「行動」が決まるため、動向を注視していた。
『一定の数の世論』が必須と考えいるが、
正直、読者からの「声」が読めない。
(『コメント』を入れてくれる読者が出てこない、のが大きな課題)
いずれにしろ、
プラスアルファの「何か」が必要だと考えている。