中身が薄く、その意図が見え見えのスポーツ新聞・雑誌の報道を観ていても意味は無いので、来たる春季大会に向けた情報を整理したいと考えております。
そのことで、より観戦を楽しめるからです。
そのような中、千葉スレに興味深い投稿があり、昨年8/25の多古の重鎮OBのコメントを思い出しました。
「迫屋監督が来たことで期待が高まっている。東部地区大会で優勝した・・・。強打者がいた時わくわくした・・・。」
このようなコメントをしていたと記憶しています。
><試合後>
銚子商木樽投手世代の多古関係者にお別れの挨拶をして、同じ長椅子のベンチにいた銚子商OBに話しかけた。
2020/02/16(日) 16:17
選抜出場校の新チーム成績、本で見てるのだが練習試合結構やってるんだな?
令1 9/5 ●鶴岡東 3-9 市立船橋
令1 8/28 〇健大高崎 12-1 東京学館
令1 9/8 〇健大高崎 13-1 東海大市原望洋
令1 10/14 〇健大高崎 12-5 学館船橋
令1 8/18 〇山梨学園 13-3 幕張総合
令1 8/18 〇山梨学園 9-1 幕張総合
令1 9/29 〇東海大相模 3-2 多古
令1 8/3 〇桐生第一 16-6 千葉学芸
令1 8/3 〇桐生第一 8-4 千葉学芸
令1 8/8 〇桐生第一 5-4 東京学館浦安
令1 10/14 ●桐生第一 3-4 習志野
令1 10/14 △桐生第一 5-5 習志野
令1 11/2 〇桐生第一 6-0 松戸馬橋
令1 11/2 〇桐生第一 7-1 松戸馬橋
令1 9/15 〇花咲徳栄 8-1 東海大市原望洋
令1 9/15 〇花咲徳栄 6-5 東海大市原望洋
令1 8/2 〇国士館 12-2 銚子商
令1 8/2 〇国士館 11-0 銚子商
令1 8/5 △日本航空石川 15-15 検見川
令1 8/12 ●磐城 4-9 千葉経済付
令1 8/13 〇磐城 3-1 我孫子東
令1 8/13 ●磐城 1-11 千葉商大付
令 8/18 △磐城 4-4 市立柏
公式戦
令1 10/21 〇東海大相模 12-6 習志野
令1 10/20 〇花咲徳栄 11-1 拓大紅陵
>9/29 〇東海大相模 3-2 多古
<コメント>
9/22 秋季千葉県大会 1回戦
検見川6-2多古
敗退一週間後に、東海大相模と練習試合を組んでいることが分かる。
よほど顔が利く関係者がいるのだろう。
銚子商業と同じ東部地区であり、昨年夏に対戦している。
町を挙げて、応援しているという話が聞こえてくる。
>多古の議員も何人か応援に駆けつけたようです。
>県立多古高等学校
1979年に、夏ベスト8に進出しております。
*市原臨海球場(現ゼットエーボールパーク)で、その場面を「目撃」しております。
遠い記憶ですが、好投手を擁した安定的な戦い、が印象的でした。
<2020/02/17追記>
2015年夏、36年振りにベスト8進出
準々決勝:中央学院3-2多古
迫屋 昇二監督
多古vs千葉商大付
千葉商大付対多古という好カード。両チームとも指導者に注目である。
千葉商大付は西武黄金時代を支えた石毛 宏典氏がテクニカルアドバイザーに就任していて、定期的に指導を行っている。一方、多古を率いる迫屋 昇二監督は千葉県を代表する指導者だ。
迫屋氏は市立銚子時代に、長谷川 昌幸(元オリックス)、窪田 淳(元オリックス)の2人の選手を輩出し、1999年夏準優勝、2001年夏ベスト4を経験、東総工時代に、杉山 翔大(現・中日ドラゴンズ)、菅野 智也(現・JR東海)擁して、春4強入りと赴任した学校で次々と強豪校に育てあげている。2011年春に多古に赴任してからも、2012年夏4回戦、2013年夏4回戦に進出しており、少しずつ実績を伸ばしてきている。
試合前から注目度が高ったゲームだが、多古が序盤に試合の主導権を握る。
2回表に、一死一、三塁のチャンスを作り、7番原 大斗(3年)がスクイズ。千葉商大付の投手・黒島 一輝(3年)が三塁走者をタッチするが、空タッチとなり、セーフ。1点を先制。さらに8番宮野 巨登(3年)が中越え二塁打を放ち、2点を追加し、3対0。続く9番内藤 翔太(2年)の右前安打で一死一、三塁とすると1番石毛 友太(3年)のスクイズで1点を追加し、4対0とした。
さらに5回表には一死一、二塁から4番角田 孝祐(2年)が右中間をあっという間に破る二塁打で一気に二者生還。恵まれた体格をしており、広角に鋭い打球を打てるスラッガーで、今後も注目していきたい打者だ。さらに5番武田 義仁(3年)の安打で、一死一、三塁として、6番高萩 拓海(3年)の犠飛で7対0と大きく差を付ける。
多古の先発・内藤はセットポジションから、始動し、左足を高々と上げてから、勢いよく踏み込む右のオーバーハンド。常時125キロ~131キロの直球、スライダー、カーブをテンポ良く投げ分け、5回無失点の好投。
千葉商大付は6回裏、一死一塁から中根 和将(3年)が右中間を破る二塁打を放ち、1点を返し、7対1。だが7回表、多古は1点を追加し、8対1に。
その裏、満を期して多古はエースの宮内 春輝(3年)をマウンドに上げる。その宮内は常時130キロ前後(最速132キロ)の直球、キレのあるスライダーのコンビネーションにする右サイド。7回裏をしっかりと無失点に抑え、試合終了。
多古が千葉商大付をコールドで下し、2回戦進出を決めた。
多古は投打ともに戦力が充実。特に打撃は下位も長打が打てる選手が多い。そしてこの日は4投手の継投リレー。一人の投手に負担をかけず、継投策で勝ち上がるのは、東総工時代からの戦い方である。3年かけて迫屋監督の野球が浸透しつつある。
2回戦は2年連続甲子園出場の木更津総合。強豪校に仲間入りするためには負けられない一戦。あっと言わせる戦いを見せられるか。注目していきたい。
(文=河嶋 宗一)
2015年06月23日
(抜粋)
千葉県多古町。北東部の香取郡にある多古町は農業が盛んで、特に多古米、やまといもが特産品として有名である。多古高校は、生産流通科という学科があり、野菜・草花などの栽培学習が行われる。学校の近くにはビニールハウスや畑があり、のどかさを感じる学校である。
そこに2011年春に赴任したのが迫屋 昇二監督だ。
「夏までは部長で、監督としてスタートしたのは秋から。そのとき9人だけだったんですよ」
と語る迫屋監督。赴任当時、3年生が16人、2年生が8人、1年生が1人の25人。当然、3年生が抜ければ、ケガ人が出ると公式戦に出場できないチーム状態の中だった。
迫屋監督はそれでも練習試合を多く組んだ。ダブルヘッダーは当たり前。たまに選手の体調が悪くて試合に出られない時は、相手チームから借りて試合に出場するなど、とにかく実戦経験を積ませていった。夏休み中、9人ということで、練習は半日だけれども密度の濃い練習ができたことで選手は成長を果たし、二次予選で沼南高柳を9対1で破り(試合レポート)、県大会出場を決めたのだ。
そして2012年春、22人の新入生を迎える。ここから指導の本腰に入った。夏まで合宿を行ったり、木更津に遠征をして、木更津総合や安房と練習試合を行い、強豪校の立ち居振る舞いを学んできた。この時の1年生は、1年夏から主力選手となり、2012年夏、2013年夏も4回戦まで進出。2013年秋は、2年ぶりに県大会出場を果たし、2回戦で銚子商を6対1で破るなど、着実にレベルアップを果たす。
1年から出場してきた選手は、一冬を超えると打線がさらにパワーアップし、練習試合では何度も二けた得点を記録するなど、順調に夏へ向けて仕上げてきた。初戦の千葉商大付戦は8対1の7回コールド勝ちを収め、2回戦進出。幸先の良いスタートを切ったように思えたが、2回戦では優勝候補・木更津総合に2対9で敗れてしまう。新チームがスタートした今の代も、秋の県大会出場を果たすも、我孫子東に6対7で敗れ、そして冬を迎える。
東総工時代に取り入れたウインターリーグをそのまま踏襲
夏に勝てるチームを作るために、多古は、冬でも紅白戦を行う。これは東総工時代から行っていることだ。きっかけは2006年秋のブロック予選で、当時、全国レベルの好投手・唐川 侑己擁する成田と対戦し、コールド負けを喫したこと。負けた後、当時の父母会長に
「迫屋先生、あの時(市立銚子)のようにガンガンやってよといわれたんです。その父母会長の息子は、1998年に秋季関東大会に出場した時の選手の弟。当時の練習を再現させて厳しくやりましたね」
*1998秋 決勝:市立銚子2-1柏陵
(関東大会ベスト4の柏陵(蒲原弘幸監督)が翌年の選抜に出場した)
1999年夏、市立銚子20年振りの決勝進出を決め、インタビューを受ける迫屋昇二監督
決勝:市立銚子0-1柏陵(延長12回)
と猛練習を敢行する。
しかし11月、東総工が所属する第6ブロックの学校で行われる東部地区大会でも勝つことができず、「練習をガンガンやってもダメなんだなと思いましたね」と、どうすれば選手たちは実戦に強くなるのかと考えた。そこで閃いたのが「ウインターリーグ」の導入であった。
「雨が降らない限り、土日に紅白戦をやります。まあ駒大苫小牧が氷点下の中やっているのだから、一桁の温度ぐらいなら大丈夫かなと思って」
寒い中のプレーは故障のリスクもある。しかし殻を破るにはこの期間の改革しかなかった。
ウインターリーグの利点は実戦の感覚が失われないこと。
「練習試合が禁止になる12月第1週から3月第1週まで打席に立たないと、打席に立つ感覚を取り戻すまでかなり時間がかかるので、そういう意味で、投手のボールを見続けて、3か月練習するのはやはり違いますね」
左から2枚看板の椿 拓之、清水 海富(県立多古高等学校)
こうして成果が出たことで、12月~翌年3月の第1週までの対外試合禁止期間は紅白戦を続けてきた。多古でもそのウインターリーグを続け、今年の冬、出てきたのが、右サイドの椿 拓之(3年)、左腕の清水 海富(3年)である。ともに技巧派の2人で、紅白戦で好投を見せ、登板のチャンスをつかんだ。そして昨年までエースだった内藤 翔(3年)は不調に陥り、野手に転向。130キロ台を計測する地肩の強さ、一発を打つ打力を買われ、センターに転向した。
そして春はこの3人の活躍が目立った春季大会となった。まず第6ブロックの代表決定戦。2対0で迎えた9回裏、二死満塁で中前安打を打たれる。同点かと思われたが、センターを守っていた内藤がホームへダイレクトの返球を見せて、本塁に突っ込んだ二塁走者をタッチアウト。内藤の好守で県大会出場を決めたのだ。
大会前でも平常練習 開き直って東海大望洋を破る
手応えを掴んで臨んだ県大会だったが、いきなり初戦の相手が昨夏甲子園出場の東海大望洋だった。多くの経験者が残る東海大望洋を意識しすぎたのか、大会1週間前の練習試合では硬くなりすぎてミスを連発し、自分たちの野球ができない状態だった。そんな選手たちに対し、迫屋 昇二監督は、イチかバチかで選手たちにこう語りかけた。
「普通だったら、準々決勝まで勝ち進まないと対戦しない相手だから、夏に向けて、どれくらい通用するか、やってみよう」
半ばあきらめ気味のコメントだった。そして大会前になると練習も軽めになるところだが、それも一切せず、東海大望洋の最速143キロ右腕・原田 泰成に備えて、マシンを150キロにセットするだけだった。
しかし逆にそれで選手の硬さが取れたのか、試合は3回表に二死満塁から5番・石川 直樹(3年)の2点適時打で先制すると、5回裏に1点を取られたものの7回表に3番内藤が追加点となる適時打を放ち、3対1に。そしてこの冬に伸びた清水と椿の継投リレーで強打の東海大望洋を封じ、見事に破ったのだ。そして2回戦でも、昨秋ベスト8の千葉商大付を4対1で破り、3回戦で千葉明徳とぶつかった。
この日は7回終了時点で5対5の接戦。しかし8回に勝ち越しを許し9回に1点を追加され、1点を返したものの6対8で敗れ、ベスト8入りを逃した。迫屋監督は、
「今年はあまり打てない打線。珍しくこの日は打つことができたんですけど、守備が乱れてしまいまして、課題が出た試合だと思います」と振り返った。
また主将の鈴木 匠は、
「これまでの2試合は自分たちの持ち味である、粘り強い守備、ランナーを溜めない、コースをきっちり突く野球ができていたのですが、今回はそれができませんでした」
と反省を口にした。
だが、冬場のウインターリーグで伸びてきた選手が勝利に貢献し、ベスト16入りしたのは自信になったに違いない。
夏へ向けて、椿 拓之、清水 海富を含めた投手力の強化、守備の強化、打撃の強化。夏を勝ち抜くための体力強化。すべてにおいて余念なく鍛える多古。特に体重管理はきっちりしている。1週間ごとに体重を測っており、前の週より体重が減ってはいけないという決まりがある。そのためトレーニングの合間におにぎりを食べる選手の姿が見られた。
ここで迫屋 昇二監督に、夏に勝てるチームは何かと伺った。
「僕が、チームが勝てるなと思う時は、僕に言われる前に動ける選手が多い時だと思います。去年のキャプテンはしっかりしていましたが、今年の鈴木 匠はそれ以上だと思いますよ」
迫屋監督も主将の鈴木の成長を認めている。そして鈴木も、夏へ向けての課題として、選手同士で意思疎通ができるチームを目指している。
「夏はブラスバンドも入ってどんちゃん騒ぎになって、声が通らないと思うので、普段から意思疎通できるようにしていきたいと思います」
技術だけではなく、自分の思い通りの野球ができるためには、視野を広くしてプレーすること。それは主力である3年生にも伝わっている。
特に高校通算25本塁打の主砲・角田 孝祐(3年)は入学時の自分を「まだ視野が狭く、周りが見えていなかった」と振り返る。多古の環境になじむ中で、視野が広くなってきたのを実感したようだ。
角田 孝祐(県立多古高等学校)
その角田は、打線の核として期待される。入学時は長打力のある選手ではなかったが、2年間、重点的にトレーニングを行うようになってからは飛躍的に長打力を伸ばし、公式戦では、両翼100メートル、中堅122メートルもある成田市のナスパ・スタジアムでバックスクリーン超えのホームランを放った長距離打者である。憧れは中田 翔(北海道日本ハムファイターズ)(2009年インタビュー・2014年インタビュー)で、動画などを見ながら、打撃を学んでいる。そんな角田は、千葉明徳戦で、5打数0安打と悔いを残す結果となった。
だからこそ、夏はチームのために打たないといけない。角田は、
「練習中からチャンスの場面で想定した打撃を行っています。これまでのとにかく打球を飛ばせればの考えではなく、とにかく4打数1安打でもいいので、チャンスで打てる打者になりたいです」
とチーム本位な打撃に変わった。夏での目標は「得点圏打率10割、本塁打3本です!」と壮大な目標を掲げた。
この目標が実現すれば、多古にとって大きな力になるのは間違いない。また多古打線はこの角田と打撃センスが高い石毛 友太(3年)の2人が中心。去年ほど得点が見込めるチームではないが、去年より優れているのは競った場面での試合運びだ。
「去年は大差で勝つことが多かったのですが、僅差になってから負けることが多かった。今年のチームはあまり点が取れないのですが、僅差になっても終盤で勝てることが多いんです。これが最大の強みだと思います」
野球は高いレベルになればなるほど自分の思い通りにいかない。多古が戦う舞台は曲者揃いの千葉大会だ。だからこそ接戦での戦い方が重要になる。鈴木は、
「東海大望洋戦では、粘りの野球ができました。アウトを確実にさばく、コーナーを突くなど基本的な積み重ねが勝利につながったと思いますので、夏はその徹底ができればと思います」
長年、千葉県の高校野球を見ていると、ものすごく力があるチームが勝つのではなく、アウトを取るなど基本的なことを最後まで実践できるチームが勝ち上がっている。多古はこの春それを実践して、東海大望洋、千葉商大付を破り、ベスト16まで勝ち上がり、そして実践できなかった千葉明徳戦では敗れた。
課題は明白。自分たちの野球を貫くということだけなのだ。市立銚子、東総工の2校では県内上位に進出し、甲子園出場を争うチームを育て上げた迫屋監督とともに歩んできた多古ナインが、この夏、多古旋風を巻き起こす。
(取材・文=河嶋 宗一)
<コメント>
>多古の重鎮OBのコメントを思い出しました。
「迫屋監督が来たことで期待が高まっている。東部地区に優勝した・・・。強打者がいた時わくわくした。」
そのような発言をされていたと記憶しています。
ここでの強打者が、
>高校通算25本塁打の主砲・角田 孝祐(3年)
だと分かりました。
2011年監督就任直後、部員9名の状況で、
>迫屋監督はそれでも練習試合を多く組んだ。ダブルヘッダーは当たり前。
>とにかく実戦経験を積ませていった。
>2012年春、22人の新入生を迎える
近隣における中学指導者の信頼が窺える。
>夏まで合宿を行ったり、木更津に遠征をして、木更津総合や安房と練習試合を行い、強豪校の立ち居振る舞いを学んできた。
>12月~翌年3月の第1週までの対外試合禁止期間は紅白戦を続けてきた
特に、この発想が画期的で興味を引いた。
冬の期間は、未だに「体力強化」と位置づけているチームが多いのではないか。
漫然と、日照時間が短い中、長距離走などに明け暮れた練習を思い出した。
頭の中は「オフシーズン」で、実戦感覚は鈍り、
秋の大会で番狂わせを演じた強豪校がその練習風景を偵察に来て、
「このチームはだめだ」と言う声が、後日耳に入ってきたのを思い出した。
私の現役時代、指導者は野球未経験者でした。
お一人は、それを補う「強い意志」をお持ちで、結果も出ましたが、監督交代でよく言えば選手の自治になりました。想定外の問題も次々と発生し、限界は明らかでした。
良く語られることですが、高校野球に限らず、指導者の存在は誠に大きなものです。
私が「指導者」に注目するのは、「経験」も理由の一つです。
>チームが勝てるなと思う時は、僕に言われる前に動ける選手が多い時
これは、「緻密な野球」そのもです。
多古高校は、現役時代に対戦経験もあり、愛着があります。
迫屋 昇二監督のご指導で、長い年月を経て復活+ベスト4以上を目指している多古高校も、注目するチームの一つです。
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<2022/07/20>追記
第104回全国高等学校野球選手権 千葉大会(2022年)
多古高校が快進撃を続けている。
7/14(木)2回戦 12-11松戸六実
7/16(土)3回戦 12-0⑤船橋東(cシード)
この日から、アクセス数トップを維持している
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7/19(火)4回戦 9-1⑦安房拓心 ベスト16進出
ベスト8を賭けて、同じ第6地区の東京学館と対戦する
7/21(木)5回戦 東京学館(Bシード)
野球部の皆さん4回戦突破おめでとうございます🎉
— 多古高校吹奏楽部 (@tako_brassband) 2022年7月19日
第5試合、頑張ってください💪
我々もさらに演奏に気合いを入れて精一杯頑張ります🔥
お疲れ様でした!😁 pic.twitter.com/KeTRNYlQCX
多古高校の面白い?チャンステーマがこちら。
— 千葉 高校スポーツ応援団 (@sportschiba) 2022年7月17日
ボードには「ボリビアチャンス」と😊
陽気な音楽とチアの動き、人数少ないけど驚きのトランペット7人構成の吹奏楽、チアボーイ参戦と今夏、印象的な1校となりました。
多古高校の応援メドレーをYouTubeにアップしました。
👇https://t.co/si4xXYgXmK https://t.co/ahVjCYjOlU pic.twitter.com/Ve148CZj1y
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関連;
2023/7/4追記;昨夏16強に進出した(部員数35人)が、新1年生は7人(2年生10人・3年生5人)。
調べてみると
多古中学校:本校は、多古町に唯一の中学校で、学区は多古町全域である。
残念ながら、名将が存分にタクトを振るう状況にないようだ。
2年生主体のチーム編成であり、今夏に経験を積んで、新チームで飛躍することが(色々な意味で)求められるだろう。
野球部応援が「みんなの喜び」 少子化に揺れる町、変わらない愛情
高速道路の成田インターチェンジから車を走らせると、田んぼやゴルフ場が見える。米作りが盛んな千葉県多古町は人口約1万4千人。町中心部の小高い丘にある多古高校野球部のグラウンドで、成田空港から離陸直後の飛行機を背景に部員たちがノックを始めた。
創部76年目を迎える県立高校の野球部は町の活力だ。昨年のプロ野球ドラフト会議で、2014年に卒業した宮内春輝選手が日本ハムファイターズに6位指名され、多古高校出身で初のプロ野球選手になった。
15年に2度目の夏8強を決めると、OBを含めた町の有志が「多古高校野球部を応援する会」を立ち上げた。集まった寄付は約300万円。当時は高校の野球部で導入が進んでいなかったエアー式ピッチングマシン「トップガン」を購入し、今も使っている。
1979年に初めて8強に入ったときの主将で、すし屋を営む同会会長の及川孝さん(62)は「ずっと応援している。負けている期間は長いけど、多古高愛だから」と笑った。寄付金以外にも農家のOBが米を届けたり、バスを用意して応援に行ったりする。町主催の審判講習会も開かれる。
◎ ◎
1907年に町立多古農学校として創立し、普通科と園芸科の約300人が学ぶ。2012年に県内で初めて「コミュニティ・スクール」に指定され、地域に根ざした学校運営をしている。朝のあいさつ運動に住民が加わり、町のイベントに生徒が参加する。
町出身の佐藤大輝選手(3年)は「地元の人が練習試合も見に来てくれる。ありがたい」。学校近くの平山精肉店の平山ゆり子さん(70)は「野球部の子には揚げたての唐揚げが一番人気。おいしいって食べてくれるからうれしい。卒業生も来てくれますよ」。
保護者会が毎年、必勝祈願とお礼参りをする妙光寺の冨永観(かん)瑞(ずい)住職(64)は法衣を着たまま、スタンドに行く日も。「応援するのがみんなの喜びにつながっている」。町ぐるみの盛大な応援団に球場で驚かれることは多い。
◎ ◎
少子化の影響で1学年8クラスが3クラスになり、60人ほどだった野球部員は現在、22人。町内に六つあった少年野球チームも一つだけで、今年の1年生は多古中出身者がいなかった。
最寄りのJR八日市場駅まで片道10キロ以上で、バスの本数も少ない。2年生の村山真選手は八街市から原付きバイクで約1時間かけて通う。「不便だが、町出身でなくても声をかけてもらえる。地域との一体感があり、来て正解だった」
多古高校で指導して13年目の迫屋昇二監督(59)は「年々選手が集まらなくなっている。子どもの数が減るのは仕方ないが、町の期待に応えるためにも応援してもらえる関係を続けていかなければ」と話す。(宮坂奈津)