「サイン盗み疑惑」の真相

習志野がしたとされる「サイン盗み疑惑」に特化したブログとしてスタート。その真相を明らかにした。< 続章>「サイン盗み疑惑」の真相は、朝日新聞を筆頭とする在日集団による捏造事件でした。甲子園を「良識ある高校野球ファン=日本人」が、将来の子供達の為に取り戻さなければなりません。<3章>高校野球の正常化には、『政治』の正常化が欠かせません。在日集団=NWO勢力(WEFのパペット)に侵された「現実」に踏み込む。<4章>に向けた準備期間として「力」を貯めています。(国際政治を取り上げる構想を棚上げ中)

「第104回全国高等学校野球選手権千葉大会」 #銚子商業 vs東金

昨日7/16に観戦した、@大谷津球場の第2試合は、成東0-7⑦東海大浦安だった。

試合開始前、成東高校父母会の方が、

『成東 質実剛健』

裏に各学年の選手名が記載されたうちわを、希望者(=成東応援)に配っていた。

手を上げて、残り1枚のうちわをいただいた。

「成東、大好きだから良かった」

その声を聞いていたバックネット裏最前列に陣取った、歴史を知る成東関係者に声をかけられた。

「私は銚子商業ファンですけど・・・」

話を続けることを遮り、

「銚子商業とは死闘を繰り返してきた。いつも1点差で勝てなかった。習志野にも・・・」

「知っています。幼少期の記憶が今でも残っています。成東の監督はOBですか?」

「そうです。あと、東金と大多喜も。」

「東金、8回の時点でリード。勝ち上がると思います。」

試合開始のサイレン...

その他もあるが、大体このような会話だった。

序盤、成東は、相手のアンダースローに全くタイミングが合わず・・・

雨が本降りとなったため、この方はおそらく屋根付きの後方座席に移動した。

*残念ながら、成東高校は「無策」。観察していたが、試合中の動きも「無く」、この指導者では古豪復活は難しいだろう。

我孫子高校の試合を観た直後のため、(我孫子・坪田監督と比較すると)指導者の力量差が実に顕著だった。勝とうとする意思が全く伝わってこない。

「松戸健氏の遺伝子」を受け継ぐ指導者は、成東OBに残っているのだろうか?」

 

夢はるか、甲子園 1988/06/01
松戸 健

成東の闘将・松戸健


 そんな千葉の高校野球が熱かった時期、1962(昭和37)年に松戸監督は成東高野球部監督に就任しました。上記の通り、14年間の監督生活で、成東高は全国レベルの強豪校、銚子商高と習志野高が分厚い壁となり、甲子園には一度も出場する事ができませんでした。しかし、甲子園出場を目指して、銚子商高や習志野高の牙城を崩すべく選手を鍛え上げ、各校と死闘を演じます。その奮闘の記録が、この本にはしっかりと刻まれているのです。

 

東金・土屋宇広監督(59歳)

眼光が鋭い。

高校3年時、1980年県大会決勝:習志野9-1成東

*習志野の投手は、現習志野・小林監督

土屋氏の経歴不明だが、このような方が成東の監督であれば、成東の状況は変っているのではないか。

 

今日の銚子商業の試合観戦は、見送った。

力量差がありすぎることが明白だったからだ。

東金6-0茂原樟陽

・ 東金は、秋・春とも予選敗退

・ 茂原樟陽は、秋・春とも茂原高校と連合チームで出場

 

 

 

試合の注目は、投手起用だった。

万全とは思えない関根投手の起用はあるか、など。

 

先発投手は、紫藤 結#10  

春、習志野戦で9回の1イニング、明秀日立戦1/3イニング

を観戦した。

つまり、イニング数が短すぎて本来の投球が分からない状態だった。

 

1回表東金

直球123K、カーブ105K

安定した制球力が評価されていると思われる。

 

いずれも内野ゴロで三者凡退

 

1回裏 銚子商

東金先発は 若山蒼弥(193/96)2年生

115Kのストレートと90K台のカーブ

 

1番鵜澤智也  遊内野安打 無死一塁

一塁走者が盗塁成功 無死二塁

 

2番押本柊也  四球 無死一、二塁

3番久保形怜司  三振  1死一、二塁

*判定ストライクでの見逃し三振だが、明らかなボール球

 

一、二塁走者が捕手の捕逸 1死二、三塁

4番関根大翔  中犠飛東金0-1銚子商業  2死三塁

 

5番加藤澄海  中適時打(ポテンヒット) 東金0-2銚子商業   2死一塁

一塁走者が盗塁成功 2死二塁

 

6番前橋脩太  左適時三塁打  東金 0-3銚子商業  2死三塁

*積極走塁の指示が出ていたと思われるが、通常の守備レベルであれば三塁タッチアウトのタイミングだった

7番勝又大陽  中飛 チェンジ、三塁残塁

 

 

2回裏 銚子商

8番横田人夢  右安打 無死一塁

9番紫藤  送りバント 1死二塁

1番鵜澤智也  右適時打  東金0-4 銚子商業 1死二塁

2番押本柊也  右安打 1死一、三塁

 

一塁走者が盗塁成功 1死二、三塁

3番久保形怜司  遊失  東金0-5銚子商業  2死二塁

4番関根大翔  右安打二塁走者が走塁死(9-2) チェンジ、一塁残塁

*痛烈な当たり。本来なら三塁で止まる場面だが、このレベルではなんとも言えない。

 

 

3回表 東金

7番多部聡海  バント内野安打 無死一塁

8番中嶋頼  左適時二塁打  東金1-5銚子商業  無死二塁

9番相原龍聖  送りバント成功 1死三塁

落ち着いて後続を抑えた

 

3回裏 銚子商

【守備位置変更】 山崎拓実 捕手 → 投手

 

5番加藤澄海  右二塁打 無死二塁

*代わり端の初球。逆方向に狙い撃ちだった。Good!

 

二塁走者が投手の暴投で進む 無死三塁

6番前橋脩太  四球 無死一、三塁

一塁走者が盗塁で二塁へ、捕手の悪送球で三塁へ、三塁走者が生還 

東金1-6銚子商業  無死三塁

 

7番勝又大陽  左適時打  東金1-7銚子商業  無死一塁

 

8番横田人夢  左飛 1死一塁

9番紫藤  四球 1死一、二塁

1番鵜澤智也  右適時二塁打  東金1-8銚子商業  1死二、三塁

2番押本柊 一二塁間を破る適時打(記録は二塁打)  東金1-10銚子商業  1死二塁

 

【投手交代】 若山蒼弥 一塁手 → 投手

3番久保形怜司  中適時二塁打  東金1-11銚子商業  1死二塁

4番関根大翔  中飛 2死二塁

5番加藤澄海  死球 2死一、二塁

重盗成功 2死二、三塁

6番前橋脩太  投ゴロ チェンジ、二、三塁残塁

 

 

4回表 東金

先頭打者にヒットを許すが、併殺で切り抜ける

 

4回裏 銚子商

【代打】勝又大陽 → 石毛龍聖

ようやく登場した。

確実に上位進出のキーマンの1人。

関東大会は、故障で出場機会が無かった。

7番石毛龍聖  左安打 無死一塁

 

【代打】横田人夢 → 大友康晴

一塁走者が盗塁成功 無死二塁

8番大友康晴  一邪飛 1死二塁

 

【代打】紫藤 → 大湾龍雅

9番大湾龍雅  左安打 1死一、三塁

【1塁代走】大湾龍雅 → 人見俐玖 *俊足とのこと

一塁走者が盗塁成功 1死二、三塁

 

1番鵜澤智也  二犠飛、三塁走者が生還  東金 1-12銚子商業  2死二塁

*三走石毛の好判断。「好走塁」に尽きる

 

2番押本柊也  左適時三塁打  東金1-13銚子商業  2死三塁

*ようやく押本の打撃にエンジンがかかってきた。一押しの選手だ。

 

3番久保形怜司  中適時打  東金 1-14銚子商業  2死一塁

4番関根大翔  中飛 チェンジ、一塁残塁

 

 

5回表 東金

【守備交代】関根大翔 → 鵜澤煌星 (右翼手)
2【守備交代】大友康晴 → 早川 寛児 (中堅手)
3【守備交代】石毛龍聖 → 神谷隼 (一塁手)
4【投手交代】人見俐玖 → 根本裕大 174/76、3年生から投手に転向)

*土手の練習試合で観戦している。キレのある投球が持ち味と思われる

 

6番 112、125

7番 104、125、126

8番 105、103、126

三者連続三振

 

 

<コメント>

精神面を含めほぐれてきただろう。

 

 

--------------------------------

 

 

ブログを書きながら視聴していた。

千葉商業も同じような試合を、5回コールドで勝ち抜いた。

昭和29年(1954) - 第36回全国高等学校野球選手権大会に3回目の出場
昭和31年(1956) - 第38回全国高等学校野球選手権大会に4回目の出場
昭和39年(1964) - 第46回全国高等学校野球選手権大会に5回目の出場
昭和43年(1968) - 第50回全国高等学校野球選手権大会に6回目の出場
昭和45年(1970) -第42回選抜高等学校野球大会に初出場 ベスト8(蒲原弘幸監督
昭和52年(1977) - 第59回全国高等学校野球選手権大会に7回目の出場

 

春の県大会、千葉商業2-4西武大千葉

を観戦したが、伝統というプラスαもあり、なんとも言えない。

要は、油断ならない。

「一戦必勝」で臨むことが求められる。