昨日7/16に観戦した、@大谷津球場の第2試合は、成東0-7⑦東海大浦安だった。
試合開始前、成東高校父母会の方が、
『成東 質実剛健』
裏に各学年の選手名が記載されたうちわを、希望者(=成東応援)に配っていた。
手を上げて、残り1枚のうちわをいただいた。
「成東、大好きだから良かった」
その声を聞いていたバックネット裏最前列に陣取った、歴史を知る成東関係者に声をかけられた。
「私は銚子商業ファンですけど・・・」
話を続けることを遮り、
「銚子商業とは死闘を繰り返してきた。いつも1点差で勝てなかった。習志野にも・・・」
「知っています。幼少期の記憶が今でも残っています。成東の監督はOBですか?」
「そうです。あと、東金と大多喜も。」
「東金、8回の時点でリード。勝ち上がると思います。」
試合開始のサイレン...
その他もあるが、大体このような会話だった。
序盤、成東は、相手のアンダースローに全くタイミングが合わず・・・
雨が本降りとなったため、この方はおそらく屋根付きの後方座席に移動した。
*残念ながら、成東高校は「無策」。観察していたが、試合中の動きも「無く」、この指導者では古豪復活は難しいだろう。
我孫子高校の試合を観た直後のため、(我孫子・坪田監督と比較すると)指導者の力量差が実に顕著だった。勝とうとする意思が全く伝わってこない。
「松戸健氏の遺伝子」を受け継ぐ指導者は、成東OBに残っているのだろうか?」
夢はるか、甲子園 1988/06/01
松戸 健
成東の闘将・松戸健
そんな千葉の高校野球が熱かった時期、1962(昭和37)年に松戸監督は成東高野球部監督に就任しました。上記の通り、14年間の監督生活で、成東高は全国レベルの強豪校、銚子商高と習志野高が分厚い壁となり、甲子園には一度も出場する事ができませんでした。しかし、甲子園出場を目指して、銚子商高や習志野高の牙城を崩すべく選手を鍛え上げ、各校と死闘を演じます。その奮闘の記録が、この本にはしっかりと刻まれているのです。
東金・土屋宇広監督(59歳)
眼光が鋭い。
高校3年時、1980年県大会決勝:習志野9-1成東
*習志野の投手は、現習志野・小林監督
土屋氏の経歴不明だが、このような方が成東の監督であれば、成東の状況は変っているのではないか。
今日の銚子商業の試合観戦は、見送った。
力量差がありすぎることが明白だったからだ。
東金6-0茂原樟陽
・ 東金は、秋・春とも予選敗退
・ 茂原樟陽は、秋・春とも茂原高校と連合チームで出場
試合の注目は、投手起用だった。
万全とは思えない関根投手の起用はあるか、など。
先発投手は、紫藤 結#10
春、習志野戦で9回の1イニング、明秀日立戦1/3イニング
を観戦した。
つまり、イニング数が短すぎて本来の投球が分からない状態だった。
1回表東金
直球123K、カーブ105K
安定した制球力が評価されていると思われる。
いずれも内野ゴロで三者凡退
1回裏 銚子商
東金先発は 若山蒼弥(193/96)2年生
115Kのストレートと90K台のカーブ
1番鵜澤智也 遊内野安打 無死一塁
一塁走者が盗塁成功 無死二塁
2番押本柊也 四球 無死一、二塁
3番久保形怜司 三振 1死一、二塁
*判定ストライクでの見逃し三振だが、明らかなボール球
一、二塁走者が捕手の捕逸 1死二、三塁
4番関根大翔 中犠飛、東金0-1銚子商業 2死三塁
5番加藤澄海 中適時打(ポテンヒット) 東金0-2銚子商業 2死一塁
一塁走者が盗塁成功 2死二塁
6番前橋脩太 左適時三塁打 東金 0-3銚子商業 2死三塁
*積極走塁の指示が出ていたと思われるが、通常の守備レベルであれば三塁タッチアウトのタイミングだった
7番勝又大陽 中飛 チェンジ、三塁残塁
2回裏 銚子商
8番横田人夢 右安打 無死一塁
9番紫藤 送りバント 1死二塁
1番鵜澤智也 右適時打 東金0-4 銚子商業 1死二塁
2番押本柊也 右安打 1死一、三塁
一塁走者が盗塁成功 1死二、三塁
3番久保形怜司 遊失 東金0-5銚子商業 2死二塁
4番関根大翔 右安打、二塁走者が走塁死(9-2) チェンジ、一塁残塁
*痛烈な当たり。本来なら三塁で止まる場面だが、このレベルではなんとも言えない。
3回表 東金
7番多部聡海 バント内野安打 無死一塁
8番中嶋頼 左適時二塁打 東金1-5銚子商業 無死二塁
9番相原龍聖 送りバント成功 1死三塁
落ち着いて後続を抑えた
3回裏 銚子商
【守備位置変更】 山崎拓実 捕手 → 投手
5番加藤澄海 右二塁打 無死二塁
*代わり端の初球。逆方向に狙い撃ちだった。Good!
二塁走者が投手の暴投で進む 無死三塁
6番前橋脩太 四球 無死一、三塁
一塁走者が盗塁で二塁へ、捕手の悪送球で三塁へ、三塁走者が生還
東金1-6銚子商業 無死三塁
7番勝又大陽 左適時打 東金1-7銚子商業 無死一塁
8番横田人夢 左飛 1死一塁
9番紫藤 四球 1死一、二塁
1番鵜澤智也 右適時二塁打 東金1-8銚子商業 1死二、三塁
2番押本柊 一二塁間を破る適時打(記録は二塁打) 東金1-10銚子商業 1死二塁
【投手交代】 若山蒼弥 一塁手 → 投手
3番久保形怜司 中適時二塁打 東金1-11銚子商業 1死二塁
4番関根大翔 中飛 2死二塁
5番加藤澄海 死球 2死一、二塁
重盗成功 2死二、三塁
6番前橋脩太 投ゴロ チェンジ、二、三塁残塁
4回表 東金
先頭打者にヒットを許すが、併殺で切り抜ける
4回裏 銚子商
【代打】勝又大陽 → 石毛龍聖
ようやく登場した。
確実に上位進出のキーマンの1人。
関東大会は、故障で出場機会が無かった。
7番石毛龍聖 左安打 無死一塁
【代打】横田人夢 → 大友康晴
一塁走者が盗塁成功 無死二塁
8番大友康晴 一邪飛 1死二塁
【代打】紫藤 → 大湾龍雅
9番大湾龍雅 左安打 1死一、三塁
【1塁代走】大湾龍雅 → 人見俐玖 *俊足とのこと
一塁走者が盗塁成功 1死二、三塁
1番鵜澤智也 二犠飛、三塁走者が生還 東金 1-12銚子商業 2死二塁
*三走石毛の好判断。「好走塁」に尽きる
2番押本柊也 左適時三塁打 東金1-13銚子商業 2死三塁
*ようやく押本の打撃にエンジンがかかってきた。一押しの選手だ。
3番久保形怜司 中適時打 東金 1-14銚子商業 2死一塁
4番関根大翔 中飛 チェンジ、一塁残塁
5回表 東金
【守備交代】関根大翔 → 鵜澤煌星 (右翼手)
2【守備交代】大友康晴 → 早川 寛児 (中堅手)
3【守備交代】石毛龍聖 → 神谷隼 (一塁手)
4【投手交代】人見俐玖 → 根本裕大 (174/76、3年生から投手に転向)
*土手の練習試合で観戦している。キレのある投球が持ち味と思われる
6番 112、125
7番 104、125、126
8番 105、103、126
三者連続三振
<コメント>
精神面を含めほぐれてきただろう。
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ブログを書きながら視聴していた。
千葉商業も同じような試合を、5回コールドで勝ち抜いた。
昭和29年(1954) - 第36回全国高等学校野球選手権大会に3回目の出場
昭和31年(1956) - 第38回全国高等学校野球選手権大会に4回目の出場
昭和39年(1964) - 第46回全国高等学校野球選手権大会に5回目の出場
昭和43年(1968) - 第50回全国高等学校野球選手権大会に6回目の出場
昭和45年(1970) -第42回選抜高等学校野球大会に初出場 ベスト8(蒲原弘幸監督)
昭和52年(1977) - 第59回全国高等学校野球選手権大会に7回目の出場
春の県大会、千葉商業2-4西武大千葉
を観戦したが、伝統というプラスαもあり、なんとも言えない。
要は、油断ならない。
「一戦必勝」で臨むことが求められる。