「サイン盗み疑惑」の真相

習志野がしたとされる「サイン盗み疑惑」に特化したブログとしてスタート。その真相を明らかにした。< 続章>「サイン盗み疑惑」の真相は、朝日新聞を筆頭とする在日集団による捏造事件でした。甲子園を「良識ある高校野球ファン=日本人」が、将来の子供達の為に取り戻さなければなりません。<3章>高校野球の正常化には、『政治』の正常化が欠かせません。在日集団=NWO勢力(WEFのパペット)に侵された「現実」に踏み込む。<4章>に向けた準備期間として「力」を貯めています。(国際政治を取り上げる構想を棚上げ中)

第27回東部地区大会(第6地区)の「観戦」期待 / #銚子商業 出身、岩井美樹国際武道大監督 / 春を見据えた実力高の調整 #東京学館

9/17、志学館5-4銚子商

を記事にしてから、ブログの更新が滞ってる。

本来であれば、翌々日の天台球場(習志野vs市立船橋など)を観戦するつもりでいたが、自然とは思えない台風で順延。

詳報を伝えてくれるツイッター(本当に有難い)を頼りに、選手名簿と付き合わせながら経過を追いかけていた。

 

生観戦は、9/25、専大松戸7-2木更津総合八千代松陰1-2成田となった。

詳細にメモを取ったノートが残っているが、一言で言えば、飛び抜けた一人の選手(平野選手)の活躍という分かりやすい構図のため、記事化は見送った。

球速130Kがやっとという試合を観ていたため、異次元の光景だった。打も

第二試合は、夏の登録メンバーが多数残っている八千代松陰のチーム力に注目していた。結果的には、思い描いていたよりも相手を圧する力感が感じられなかった。

成田・齋藤投手のスライダーが良いことは、夏の観戦で分かっていたが、7回表ピンチの場面、ベンチの成田控え選手からの的確なアドバイスに頷く齋藤投手が印象的だった。

 

準決勝はチバテレビで視聴していたが、古狸・尾島治信監督の存在感が際立っていた。

夏の銚子商業戦で再認識したが、ただ者ではない。

ただ、勝敗に差して意味の無い決勝で齋藤投手を連投(3イニング)させたことが不可解だった。

 7失点のダメージが関東大会に影響しないか心配だ。

 

専大松戸は、私がわざわざ触れるまでもないだろう。

持丸監督を支持する歴代チーム(含む竜ヶ崎一、藤代など)OBと中学生指導者による確固たるネットワークが存在して、有望選手が続々と集結する好循環がある。

銚子商業復活の為の課題を掘り下げてきたたため、より一層理想型であることを実感する。私立・公立の差などいう問題ではない。

 

 

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10/22に開幕する秋季関東大会とは別に、第27回東部地区大会(第6地区)を観戦したいと思っている。

現時点で観客については未定

 

太字:県大会出場

佐原━━━┓
佐原白楊┓┣┓
多古━━┛┛
横芝敬愛━┓┣┓
富里西陵━┛┛
成東━━━┓ ┣┓
東京学館━┛┓
匝瑳━━━┓┣┛
成田━━━┛┛

         ┣🏆

成田北━━┓
小見川━━┛┓  
わせがく━┓┣┓
成田国際━┛┛
東総工業━┓ ┣┛
千葉黎明━┛┓
銚子商業━┓┣┛
市立銚子━┛┛

 

第6地区東部大会
10/29(土)
成田国際高校グラウンド
⑴9時わせがく×成田国際
以下⑴9時⑵11時半

10/30(日)
ナスパ
⑴①佐原白楊×多古
⑵東総工業×千葉黎明


11/3(祝)
銚子市営
⑴佐原×①勝ち
⑵成田北×小見川
ナスパ
⑴匝瑳×成田
⑵成東×東京学館


11/5(土)
銚子市営
⑴銚子商業×市立銚子
⑵横芝敬愛×富里.成田西陵

 

追記;朗報

第7地区東総大会は有観客試合となりました。
他地区の観客についてはまだ不明です。

 

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3連休の中日の10/9は、前日の上総掘り体験の妙な疲れもあり、休息日とした。

なぜこの程度で異様に疲れが残ったのか理由は明白だ。

マスク着用が義務づけられているため、重労働になると呼吸ができないのだ。


PCを開くと、

>詳報を伝えてくれるツイッター(本当に有難い)

が飛び込んできた。

◆国武大スタメン(vs東京情報大)
宮内竜志④銚子商
中 田代健介①作新学院
上杉龍平④東海大相模
一 籾山慎之助③享栄
櫻内俊太②市立船橋
三 谷内優斗③北星学園大付
DH 佐藤暖起④東海大相模
高嵜聖也③東海大市原望洋
茂谷光②東海大相模

 

追記;2022/11/10

捕 櫻内俊太②市立船橋

 

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◆東京情報大スタメン(vs国武大)
水島滉陽④拓大紅陵
清原幸将④暁星国際
三 齋藤敦大③青森山田
中 東奏太③大商大堺
四十住皇輝②習志野
DH 山城真平③糸満
一 松山侑生③大阪偕星
二 秋重陵佑③高川学園
捕 島上眞綾③盛岡大付

 

2019年の春季大会から高校野球観戦をスタートした自分にも馴染みの名前がある。

まだ、高校時代の注目選手を追いかけて、大学での活躍を観戦するという領域には踏み込んでいないが、この情報でずーと抱えていた疑問を思い出した。

国際武道大学と銚子商業のパイプがどういう経緯で構築されたのか...

 

大雨の聖地“怪物”に雪辱 第55回(73年)選手権出場 銚子商・岩井美樹(国際武道大監督)  【千葉高校野球ドキュメント100】(17)

第55回全国高校選手権の2回戦で江川を擁する作新学院(栃木)に勝利した銚子商を報じる1973年8月17日の千葉日報
第55回全国高校選手権の2回戦で江川を擁する作新学院(栃木)に勝利した銚子商を報じる1973年8月17日の千葉日報
「江川のボールは異質だった」と語る岩井美樹。現在は国際武道大の監督を務める=神宮
「江川のボールは異質だった」と語る岩井美樹。現在は国際武道大の監督を務める=神宮

 栃木・作新学院で数々の伝説を作り上げた江川卓。3年時の1973年夏、土砂降りの雨が降った甲子園の2回戦で“怪物”に勝ったのは、銚子商だった。「同じ舞台に立てたことが幸せ」。内野手としてチームの8強入りに貢献した岩井美樹は懐かしそうに笑う。大学屈指の名将が、45年前の決戦を振り返る。(敬称略)

 僕が銚子商に進んだのは、(中学の)担任は大学に行くのだったら市銚子に行った方がいいと言っていたが、当時は中学の校長先生を含めて全員が銚子商ファン。銚子商の斉藤(一之)先生がこれはいいなと思って、声を掛けてくれた。大学に行きたかったら市銚子の方が進学校だけど、銚子商で正解だった。甲子園という舞台はなかなか経験できるものではないから。

 (銚子商は)すごかった。僕らの代は(3年時の1973年に)地元国体だったから40、50人入ったけど1カ月で12人になった家に帰るのが午前2時。1カ月で残った12人がそのまま残っていた。一番きつかったのはランニング。東海大のときは原(貢)監督はランニングメニューはそんなになかったので、大学は申し訳ないけど楽だった。一生分、高校の時に走った。僕らは最後の木製バット世代。僕らの一つ下から金属になったので。木だと長打が出ないので、守備と走塁を鍛えるためとにかく走った。木は飛ばない。僕は金属の経験がない。現役時代はずっと木製で監督になっても木製。

◆「異質だった」球に驚き

 初めて江川(卓・元巨人)と対戦したのは1年生の時かな。確かオープン戦で代打で使ってもらった。結果は三振だったかな。とんでもないボールだった。他に速い投手といえば一つ上で中日に行った(成東の)鈴木孝政さん。あと中日の監督で一つ上の森(繁和)さん。あの人はカーブが良い投手だったけど。銚子商の一つ先輩で大洋にドラフト1位で入った根本(隆)さんも。それでも真っすぐの速さはダントツで江川だった。ただ篠塚(和典・元巨人)だけは(73年)春の関東大会で代打で出て「先輩、(江川は)速いですか?」と聞いてきて「速いよ」と言ったら初球をセンター前にポーンと。あれは天才だね。「どうだった?」と聞いたら「速かったです!」と。江川がびっくりしていましたね。

 38年間監督をやっているけど、江川のボールは異質だった。今でも投手といえば松坂(大輔・中日)ではなく江川。甲子園までオープン戦、関東大会入れると6連敗だったんですよ。それで甲子園と国体を勝っちゃった。速い投手でも、ある程度ボールに慣れてきたということかな。「当たらないな」と思っている球が当たってファウルになったので、マウンド上で首をかしげていた。前年の秋の関東大会は僕なんか手が出なくて四球だった。それでベンチに帰ってきたら「これで完全試合はなくなった」と(笑い)。真っすぐとカーブしか投げなかった。カーブもすごい。顔付近に来るストレートと思った球がすごく曲がるから、打席で引っくりかえってストライクという打者が多かった。高校時代に直球で3種類ぐらいの速さの球を投げていた。

 江川対策としてはヘルメットを深くかぶって、見えない球は振るなと。バットも長さが3種類ぐらいのを作って、あの手この手でやりましたよ。データも取って、暑い晴れの日は成績が良くない。暑さに弱いから。曇り空の時はノーヒットノーランや完全試合が多かった。それで雨の時は弱い。甲子園の時は「雨降ればよいな」と思っていたら本当に降った。かわいそうなのは土屋(正勝・元中日など)が投げているときはそんなに大降りじゃないけど、江川のときは土砂降り。自然の力がないと、勝てないですよ。

 あの当時は消防法がそれほど厳しくなかったので、5万8千か6万人ぐらい入った。打席に入ったら球審がタイムをかけて、何だと思ったら観客がバックスクリーンに入っちゃった。そこから出て行ってくれと。甲子園の歴史で初めてじゃないですか。

◆「同じ舞台に立てて幸せ」

 試合前に「銚子商、最近強いよな」と言ってきた。本人は銚子商にそろそろつかまるかもと思っていたかもしれない。(銚子商は)前の試合も岡山東商と延長十二回サヨナラの試合をやっていた。試合後に斉藤先生の奥さんが宿舎にいて「岩井君、江川君から電話よ」と。何だろうと思ったら「頑張れよ! 俺はもうオフになっちゃった」と。面白いやつだった。斉藤先生の奥さんは「本当に仲良いんだね」と言っていた。

 大学のときに「たまには打たせろよ」と言ったら笑って「岩井には打たせない」と。なかなか良い男ですよ。僕のお義父さん(藤田元司・元巨人監督)が亡くなったときに家に来てくれて泣いていた。「俺はよく怒られた」と。「怒られたということは江川のことが好きだったんだよ」と言った。マスコミから受ける印象とは違って、あいつはとても良いやつですよ。そういう高校野球で100年に1人いるかいないかという人間と同じ舞台に立てたのは幸せかもしれない。

 【次回は6月23日、千葉経大付・松本啓二朗を掲載します】

◇いわい・よしき 1955年4月6日生まれ。63歳。銚子市出身。銚子商時代は内野手として73年の第55回全国高校野球選手権ベスト8などに貢献。2回戦でエース江川卓(元巨人)を擁した作新学院(栃木)に延長十二回、1死満塁から押し出し四球でサヨナラ勝ちを経験した。同年秋の千葉国体でも決勝で作新学院を破り、優勝。卒業後は東海大に進学。81年から同大の監督に就任して8度の優勝に導いた。89年から国際武道大監督を務め、2017、18年の全日本大学選手権では2年連続の準優勝を果たした。教授として授業も行う。

◆プレーバック

第55回全国高校野球選手権

 ▽2回戦(1973年8月16日・甲子園)
作新学院(栃木)
   000000000000―0
   000000000001x―1
銚 子 商
(延長十二回)
(作)江川―小倉
(銚)土屋―木川
▽三塁打 磯村(銚)
▽二塁打 小倉(作)

1回戦  1―0 岡山東商

 

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この記事により、遅まきながら疑問が氷解した。

プロ野球出身者に目を奪われていたが、とんでもない大物銚子商業OBが存在していた。

岩井 美樹|教員紹介|大学案内|国際武道大学 (budo-u.ac.jp)

 

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10/10、小旅行で度々通過するため、成田エリアの地理に詳しくなった。

都度気になっていた看板があった。「東京学館」...

2020年秋の準優勝校。

 

www.otonarashino.com

 

上位進出の常連のため、度々観戦してきた。

9/17の第2試合は、東京学館5-1東海大望洋だった。

人工芝の自前の球場を持つことは知っているが、どのような環境なのか興味があった。

「左折して500m」

覗いてみよう。

 

サッカー場では、公式戦が行われていた。

野球場...運良く、練習試合が行われているようだ。

丁度試合開始前。アナウンスを聴くと、

相手は、甲子園出場経験があり、この秋もベスト16に入った実力高だった。

ナイター設備も完備している

 

グラウンドの右翼側には、雨天対応のブルペン(3投手)もある。

 

恵まれた練習環境と、データ収集に必要な最新機器も常備しているようだ。

おそらく、この日の2試合目だが、レギュラー以外の選手を試しているのだろう。

 

11/3(祝)
銚子市営
⑴佐原×①勝ち
⑵成田北×小見川
ナスパ
⑴匝瑳×成田
⑵成東×東京学館