7/6(土)午後1時より開催された、
銚子商業 甲子園優勝50周年記念イベント
について触れたい。
その重みと価値が解る者にはまさにプライスレス。
優勝メンバーが来場する度に、手のひらがはち切れんばかりに拍手している自分がいた。無意識にだ。
参集していただいたメンバーは8人(黄色ハイライト);
この
>イベントは銚子の野球文化を後世に伝え野球の普及拡大を図ろうと、実行委員会=(銚子スポーツタウン)(木樽正明実行委員長)が開いた。
簡潔に言えば(実体は)、
全盛期の銚子商業OBにとって、そのロールモデルである、木樽氏個人の人望があってこそのイベントであった。
開会前のご挨拶をされる木樽正明氏
メモに残していた各氏の主な発言;
Q:印象に残っていることは?
遊撃手・主将、宮内英雄氏
辛い練習。甲子園での選手宣誓は、緊張しなかった。
センター、池永氏
すり鉢状の甲子園は、とにかく熱かった。
一塁手、加藤氏
1年生の時は、とにかく走れ走れだった。
三塁手、篠塚氏
正月休みも無し。
夏合宿。平日の夕方は、16:30-21:30まで練習(朝練は別)。
エース、土屋氏
3年生夏大会前に、肩・肘を壊して、選手権に投げられる状態ではなかった。
我孫子の病院を紹介してもらい、AM4時発の電車に乗り、AM6に我孫子着。
治療を受けてから銚子に戻り、授業に出席する生活を続けた。
1、2回戦は、控えの筒井投手が投げて、3回戦が習志野戦。
投げられる状態ではなかったが、斉藤監督に「お前が投げて負けるならしょうがない。既に3回甲子園に連れて行ってもらった。」などと巧く乗せられて、そこから登板した。
捕手、太田氏(波崎三中出身)
土屋投手のベストゲームは、2年夏の作新学院戦と3年夏の中京商戦。
人生を変えた試合だった。
技術指導をする、当時のコーチは3人。
ぼそぼそと(聞き取りずらかった)その名前を語った。
その中の一人が「高野」と聞こえた。筆者の聞き間違いではないだろう。
レフト、前嶋氏(大洗中出身)
土手のファンは、野球を良く知っている。そのため、ヤジもキツい。
監督が40人いる感覚だった。
一塁手控え、根本氏
(⇒宮内主将の進言で、甲子園優勝の瞬間に、一塁守備についていた)
今の時代なら、有り得ないエピソードを話した。
来賓の当時29歳だった加瀬部長
斉藤監督にはよく叱られた。
朝と夕方で言っていることが違うと指摘する(クレーム)と、
野球は臨機応変さが求められる。それについてこれないお前が悪いと、逆に怒られたというエピソードを語った。
Q:現在の銚子商業について(筆者が申込時に質問したもの。他にも多数同じ質問があったそうだ)
宮内英雄氏
銚子商業のユニフォームは、巨人のユニフォームと同等であり、我々にとってあこがれだった。
(その誇りを)もうちょっと取り戻してほしい。
三塁手、篠塚氏
・ 良い選手がいなければだめ。
・ 甲子園に行ける状態でなければ、その良い選手が集まるわけがない。
・ 現在は、知らない。
・ YouTubeで、寂しい内容は観ている。
捕手、太田氏
・ 目標を持って
・ 厳しい練習が必要。我々の時より少ないでしょ。
一塁手、加藤氏
・ もっともっと練習しなければ。
・ 結果は、気持ちと練習量に比例する。
その他、記憶に残った発言;
甲子園優勝を達成した後、もうあのきつい練習をしなくていいんだ。
唯それだけだった、と異口同音に各氏が同じ発言をした。
一つ前の世代(国際武道大・岩井美樹監督ら)の方が、実力は上だった。
これも、異口同音に各氏が同じ発言をした。
退場する優勝メンバー
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>(実体は)、
全盛期の銚子商業OBにとって、そのロールモデルである、木樽氏個人の人望があってこそのイベントであった。
観客が会場内にいるイベント開催中、筆者の同行者が会場の外(受付の座席)にいる開催者らしき方々の愚痴(=嘆き)を聴いている。
具体的内容は避けるが、現在の銚子商業と、このイベントに出席した英雄達との関係性は「ゼロ」である。
このブログを継続的に読んでいる読者なら、その理由が分かるだろう。
低迷の一因であることは間違いない。
優勝メンバーを含む有能なOBが、距離を置く理由があるのだ。
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改めてだが、筆者の自宅から銚子は、120km程度あり結構な時間を要す。
そのため、犬吠埼灯台付近の温泉宿に一泊することにした。
翌日は、家族サービスに徹したが、自分の唯一の要望として、銚子商業に向かった。
練習試合など何かしらの直前の動きを体感できる可能性があると思ったからだ。
対戦相手は、シード校の一つ。
第一試合の8回を終了して、6-5で銚子商業リードの場面だった。
結果は、四球で溜めたランナーを返されて、6-7となった。
父母会以外の観客(土手)が見当たらず、以前のように古参ファン or 気さくに話せるOBなどと会話する機会はなかった。
既に結果が出ているため、選手権の感想を述べたい。
苦戦を予想した日体大柏戦は、二死からのタイムリーの連続でこれ以上ないスタートだったのは、衆目の一致するところだろう。
展望号の澤田監督のコメントで目を引いたのは、
「上級生にこだわらず、チーム内の競争に勝った選手を下級生でも起用します」
パーフェクトだが、どこまでそれを徹底できるかに注目していた。
明らかに足枷があり、本当の意味での澤田監督の采配を見ていない
とすら感じている。
実力高・千葉明徳戦は、澤村投手が立ち上がりに2失点した後から視聴した。
そして、録画を見直した。
8回表5-4で1点リード、一死満塁の場面で、期待の1年生西山選手に代打を出した場面がポイントだったように思える。
相手投手が左腕であったこと、それまでの西山選手の打撃内容を考慮したのだろうか。
更に言えば、代打に出した春のレギュラー選手の状態が良くなければ(西山選手以上の状態である)、この策は妥当とは言えまい。
これは素直な感想だが、2019年から観戦を始めてから、初めて春から夏にかけての成長を感じていた。選手の面構えも良かった。
メンタルもきちんと夏に合わせて仕上げてきたのだろう。
結果は、3つの連鎖反応的ミスも重なり、4点のリードを守り切れず敗退した。
公式戦経験が2人しかいない中での新チーム作りの限界が主要因となったとしか思えない。このことは昨年の8月時点で分かっていたことだったのではないだろうか。
個人的には、4番を打った佐藤選手を、控え投手だった2年生の時から注目していた。
彼の公式戦デビューは、昨秋。
あまりにもその才能を開花させるための時間が短い。
彼は、少年時代からの銚子商業マニアで、甲子園優勝時の動画を観て、その詳細を把握していると、選手紹介されていた。
筆者が注目している2年生の大型左腕がいた。
PDCA(特に反省)をきちんと行い、失敗を教訓として活かさなければならないのは、高校野球も共通のはずだ。そこからの再出発でなければ、永遠に同じ失敗を繰り返すだろう。