「サイン盗み疑惑」の真相

習志野がしたとされる「サイン盗み疑惑」に特化したブログです。その真相を明らかにしていきます。< 続章>「サイン盗み疑惑」の真相は、朝日新聞を筆頭とする在日集団による捏造事件でした。甲子園を「良識ある高校野球ファン=日本人」が、将来の子供達の為に、取り戻さなければなりません。

#銚子商業 全盛期における #東海大相模 との深い絆(歴史) 2つの「親子鷹」  #習志野

8/11に下書きしていた記事です。

当時、習志野(+美爆音)に対する朝日新聞とそれに同調するマスゴミのネガティブキャンペーンが激しく、微力ながら、そのお些末なロジックを暴き、抑止に注力しておりました。

そのため、「お蔵入り」になりました。

 

来週開幕する関東大会で、習志野・東海大相模が共に緒戦を突破すると、

選抜出場権(ベスト4)をかけた対戦となります。

 

東海大相模の基盤を確立した、故原 貢氏と銚子商業・故斉藤一之氏の深い縁を振り返ります。

 

 

ここから、8/11に書き留めていた記事になります。

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大会第6日、抽選会の時から注目されていた好カード

東海大相模vs近江、明石商vs花咲徳栄

がありました。

春の関東大会で下馬評通り優勝した東海大相模

マスコミの評価がすこぶる高い近江

習志野に春の関東大会でコールド勝ちした山村学園(*飯塚投手は投げていない)

11-2で大勝した花咲徳栄

の3チームを特に注目していました。初めての観戦になりました。

*明石商は選抜で観戦(テレビ)している

 

作新学院小針監督の采配も実に興味深かったです。

この方は、明らかに送りバントの大切さを知っているが、敢えて使っていないと感じました。

 

 

www.daily.co.jp

 

8/11(日) 14:01配信

昨夏8強の近江、東海大相模には「があった」 6失策で初戦敗退


 「全国高校野球選手権・2回戦、東海大相模6-1近江」(11日、甲子園球場)

 東海大相模(神奈川)が相手の失策に乗じて得点を重ね、優勝した2015年以来の初戦突破を果たした。昨夏8強の近江(滋賀)は6失策が響いた。

【写真】力投する近江・林

 昨夏もエースだった林優樹投手(3年)は三回まで無安打投球だったが、四回に先制を許した。2死二塁で遊撃へのゴロを土田龍空内野手(2年)が捕り損ね、もたつく間に二塁走者の生還を許した。その後もエラーが得点に絡んだ。

 土田は「自分のエラーで失点し、申し訳ないという気持ち」と肩を落とした。「相手は強打者が多く、振ってくるチーム。圧があった。足も速くて次の塁を狙ってくるので、自分も一つ前へと中途半端に前に出すぎた」と、東海大相模の積極的な攻撃が影響したと反省した。まだ2年生。「自分たちのミスで負けた。新チームで修正したい」と話した。

 多賀章仁監督は「全体的に硬くなっていた」と振り返った。「実は昨日、ナインにハッパをかけたんです。東海大相模さんに勝てばチームの歴史が変わると。それが硬さになってしまった。去年の(1回戦)智弁和歌山戦のようにのびのびやるのと違い、甲子園に戻ってきて東海大相模さんとやれるので、何とかという気持ちが出てしまった」と悔しがった。好左腕・林については「報いてやれず残念。エラーがなければ完封していてもおかしくない投球内容だった」とたたえた。

 

<コメント>

林投手は評判通りの好投手でした。いわゆる技巧派左腕です。

東海大相模のバッターのタイミングが合っておらず、おそらくは「力対力」にはめっぽう強いが、そんな強打者揃いの「天敵」ではと感じました。

どうやって攻略するのだろうと観ていると、早速仕掛けてきました。

 

2回表東海大相模の攻撃▼

山村:外角の真っ直ぐを打つもファーストゴロ 1アウト

金城:外角のカーブを打つもショートゴロ 2アウト

遠藤:有馬(捕)の悪送球により出塁する 1塁

一塁走者遠藤:盗塁成功 2塁

二塁走者遠藤:盗塁を試みるもアウト 3アウトチェンジ

 

評判の有馬捕手エラーで出塁した、先発投手遠藤君の二盗・三盗です。

この揺さぶりは、近江バッテリーにとって驚きだったことでしょう。

評判の捕手と言うことは「強肩」としてならしてきたはずです。

それをここまであからさまに「無視」されたのですからショックだったことでしょう。

しかも自分のエラーが起点です。

「えげつない」なあと良い意味で感心しました。

門馬監督に興味が湧きました。

ヤフコメをみているとよく門馬監督の采配についての批判投稿を良く目にしていました

何を根拠としているのか、東海大相模ウオッチャーでない私には分かりません。

今日の采配を見る限り、選手層の厚さ(千葉からの野球留学が多い)のみならず、勝つための采配が的中していたのは明らかです。

 

 

門馬 敬治(もんま けいじ、1969年12月18日 - )は日本の高校野球指導者。東海大学付属相模高等学校社会科教諭、硬式野球部監督。

経歴

東海大相模高校時代は主将に就任するが甲子園出場経験はない。その後、東海大学に進学。しかし、けがのためマネージャーに転向。当時の原貢監督の運転手などを務める。

大学卒業後は東海大、東海大相模高校でコーチを務め、1999年に29歳で東海大相模高校の野球部監督に就任2000年春、2011年春、2015年夏には甲子園大会で同校を優勝に導いている。

 

さっそく、今日の記事にしたいと考えていたキーパーソンにぶつかりました。

東海大相模は「銚子商業」とたいへん縁のあるチームなのです。

 

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原 貢(はら みつぐ、1936年3月30日 - 2014年5月29日)は、アマチュア野球指導者。東海大学野球部名誉総監督。佐賀県神埼郡三田川町(現・吉野ヶ里町)出身。

元プロ野球選手で読売ジャイアンツ監督の原辰徳は息子。読売ジャイアンツ投手の菅野智之は孫(娘の子)。

 

来歴・人物

鳥栖工業高等学校卒業、立命館大学卒業。ノンプロの東洋高圧大牟田(現・三井化学)を経て、福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任。無名校を初出場にして高校野球全国大会優勝(1965年)へと導き、三池工フィーバーを起こす。

その後、三池工での戦いぶりと原の生き様に感銘を受けた東海大学の創設者・総長松前重義の招きで1966年(昭和41年)から東海大学付属相模高等学校野球部監督に就任東海大相模の名を全国に轟かせ、神奈川高校野球界の勢力図を塗り替える1974年(昭和49年)には長男・辰徳が東海大相模に入学し、「親子鷹」としても話題となるが、辰徳には野球部内では親子の関係を一切断ち切るなど厳しい条件を押し付けた。練習では何度も辰徳に対して鉄拳を浴びせ、ほかの選手の襟を正すための手本とさせた。

1976年(昭和51年)11月16日に翌1977年(昭和52年)より辰徳の進学と共に東海大学硬式野球部監督に就任することが発表された。首都大学リーグ7連覇を達成。辰徳が巨人入りすることが決まった直後の1980年(昭和55年)12月19日に東海大相模監督に復帰した。1984年(昭和59年)から東海大学系列校野球部総監督。1990年(平成2年)春から東海大監督に復帰、6度のリーグ優勝に導き、1996年(平成8年)10月29日に勇退を表明した。以降は再び東海大学系列校野球部総監督だった。

守備に重点を置いた厳しい指導を行う一方、1970年代の指導者にしては珍しく練習中の水分補給を認めたり(当時は「水を飲むと動きが鈍くなる」「飲むような奴は根性が無い」というのが通説となっていた)塩を舐めさせたりするなど、進歩的な考えも併せ持っていた。また野球部の練習休みで辰徳が自宅に帰ってきた際には、夕食で辰徳におかずを勧めるなど、温厚な父親の顔を見せていた。辰徳曰く「悪い言葉で言えば二重人格、よく言えば切り替えの名人」

孫の菅野智之が、2011年のドラフトで巨人の単独指名を受けるとみられていたが、日本ハムが強行指名し交渉権を獲得したことについて「日本ハムからあいさつが一言もなかった。これは人権蹂躙」「あいさつもなしに指名するなんて“だまし討ち”」と憤った。

2014年5月4日に心筋梗塞のため、神奈川県内の病院に入院した。同年5月29日午後10時40分に心不全で死去したことが、同月31日に発表された。法名は熱球院釋貢勝(ねっきゅういんしゃくこうしょう)。没後に生前の功績を讃えられ、東海大学:松前達郎総長から『東海大学野球部名誉総監督』の称号が追贈された。

2015年6月8日に、2015年度の育成功労賞を受賞することが日本高等学校野球連盟と朝日新聞社から発表された。同年8月15日に阪神甲子園球場で表彰式が行われ、長男の辰徳が代理として出席し、「天国より大変喜んでいると思う」と感謝の言葉を述べた。

甲子園での成績[編集]
三池工:出場1回・5勝0敗・優勝1回(春:出場なし/夏:出場1回・5勝0敗・優勝1回)
東海大相模:出場8回・12勝7敗・優勝1回・準優勝1回(春:出場2回・3勝2敗・準優勝1回/夏:出場6回・9勝5敗・優勝1回)
通算:出場9回・17勝7敗・優勝2回・準優勝1回

 

>福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任。無名校を初出場にして高校野球全国大会優勝(1965年)へと導き、三池工フィーバーを起こす。

この時の決勝の相手が、斉藤一之監督が率いた銚子商業です。

1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会にて木樽正明を擁して決勝に進むも、原貢監督(読売巨人軍 :原辰徳監督の父)率いる三池工業高等学校に敗れ準優勝。

 

>1974年(昭和49年)には長男・辰徳が東海大相模に入学し、「親子鷹」としても話題となる

原辰徳が1年生で夏の甲子園に出場。「親子鷹」として注目を集めました。

この大会で、銚子商業が念願の全国制覇を達成しました。

1974年の第56回全国高等学校野球選手権大会には土屋正勝投手、三塁手で4番打者の篠塚利夫(現 篠塚和典)を擁して念願の全国優勝を果たす。

 

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*故斉藤俊之氏

覚悟を決めたはずだったが、苦しみは想像以上だった。父一之は「黒潮打線」を築き、甲子園優勝に導いた地元の英雄。幼い頃から、「監督の息子」の枕ことばが嫌だったが、重圧は相当だった。2年春にレギュラーを獲得したが、周囲の目は「息子だから」。チームメートは普通に接してくれたが、過剰に意識する自分の心とも闘った。

 周囲を納得させるには、結果が求められた。2年春の練習試合、同じく「親子鷹」だった東海大相模(神奈川)の原辰徳(元巨人)と対戦。原が左中間にライナーで運べば、俊之も右翼に本塁打を放った。翌朝の新聞には、「親子鷹 競演」の見出しが躍った。

 俊之 原さんはスーパースターで、自分はやっとレギュラーを取った選手。それでも、「親子鷹」と注目され、少し変わった。

 

歴史的な一戦での1発で雑音に終止符を打った。<1976年(昭和51年)>2年夏の県大会、準決勝の習志野戦。甲子園優勝校同士の好カードに、スタンドが人であふれ返る中、同点の延長10回にサヨナラ弾。「やっと、銚子商業の一員になれた」。決勝戦も制し、甲子園出場を決め、全国でも8強入りした。

 3年時には、チームメートの指名で主将を任された。監督の一之からは「何かあれば主将の責任。お前のせいだと怒られ続けた」。秋の大会では打率5割以上、2本塁打で打線をけん引し、センバツに出場。2季連続で「親子鷹」で聖地に立った。

 卒業式の夜、俊之は父一之に誘われ、食事に出掛けた。「3年間、よく頑張ったな」。監督であり、父だった一之から掛けられた初めての褒め言葉だった。「大変だったか?」と尋ねる父に、俊之は「大変だったけど、一緒にやれて良かった」と感謝した。

 

原 貢(1936年3月30日 - 2014年5月29日)・辰徳(1958-)

斉藤一之(1929年 - 1989年11月9日)・俊之(1959-2018)

学年一つ違いの「親子鷹」が実現していたのです。

 

 

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 ここから加筆10/14

 

3度目の巨人・監督に復帰された原辰徳氏がリーグ優勝を達成しました。

俊之 原さんはスーパースターで

同時期に活躍した「親子鷹」の明暗は何とも形容しがたいです。

 

 

 

<高校野球秋季大阪大会:大阪桐蔭9-6履正社>◇13日◇決勝◇大阪シティ信用金庫スタジアム

昨日、塁ゼロで夏を征した履正社と、大阪桐蔭の決勝がありました。

両校の勝ち上がり方を確認すると、全試合コールドゲーム?の大差をつけてのものです。

度々言及している高校野球ファンとしてのブランクのため、大阪桐蔭の試合を観たことがありませんが、シンプルな強打のチームなのでしょうか。

マスゴミの誘導もあり、事実上の「甲子園決勝戦」とのコメントが多数ありました。

 

私見として、朝日新聞(高野連)・「野球害毒論」の優等生チームが席巻する状況を好みません。

*確実に千葉の野球も浸食されている。

 

アグレッシブな走塁を絡めた、「隙を突く」『緻密な野球』

を受け継ぐ、習志野・東海大相模に大いに期待します。

(千葉県民・一高校野球ファンとしては、習志野を応援しています)

 

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