「サイン盗み疑惑」の真相

習志野がしたとされる「サイン盗み疑惑」に特化したブログです。その真相を明らかにしていきます。< 続章>「サイン盗み疑惑」の真相は、朝日新聞を筆頭とする在日集団による捏造事件でした。甲子園を「良識ある高校野球ファン=日本人」が、将来の子供達の為に、取り戻さなければなりません。

#広島商 が『復活』15年ぶり甲子園・・・ #銚子商 の「未来」、何を改善して強化すべきかー 斉藤一之監督の最高の理解者であり宿敵だった『悲運の成東』 故松戸健氏が、後継者に求めたもの

 7/29、広島商が15年ぶり甲子園を決めました。

 

昭和の高校野球を知る、そして、いわゆる「商業」の没落に心を痛めていた高校野球ファンにとってビッグニュース(+朗報)です。

近年も県大会ではベスト4に進出していたとのことで、復活の「兆し」を確実に生かしたことが伺われます。

「HOW」が心底知りたいです。

また、広島商のみならず、高松商、熊本工、静岡など、銚子商全盛期におなじみの古豪が甲子園出場を決めました。

一方で、数々のドラマを生み出した真の名門『夏将軍』「松山商」が、銚子商と同じ苦しみを味わっているようです。

 

・ 松山商も昨夏は予選準決勝まで残ってたよね。ただ組み合わせに恵まれた感強くて準決勝ではあっさり9-0で新田にコールド負けだったけど。

・ 松山商が10年ぶりに初戦敗退

 

総力を挙げて銚子商の低迷期を掘り下げました。

そこから、「復活」に必要な要件を導き出したいと思います。

 

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 7/27(土) 10:46配信


 7月25日、習志野が8年ぶり9回目となる夏の甲子園出場を決めた。

 今春センバツ準優勝の習志野は古豪としても名高く、夏は1975年に全国制覇を果たしている。千葉県勢の2年連続優勝で、74年の王者は同じく古豪で“黒潮打線”の異名も持つ銚子商。出場回数では銚子商が習志野を上回っている。

 

 近年に強さを発揮しているのが木更津総合。県大会初優勝の2003年以降、15年で7度、県が東西に分かれた昨年の100回大会まで3年連続の甲子園出場を果たした。

 さらには、名将の小枝守監督が鍛え上げた拓大紅陵、丸佳浩(巨人)らを輩出している千葉経大付に、東海大市原望洋、市船橋、成田、専大松戸、中央学院などが高いレベルで競い合い、“戦国千葉”と称される熱い戦いが展開されている。

【千葉 夏の甲子園出場回数ランキング】
1位 銚子商 12回 2005年

2位 習志野 9回 2019年

3位 成田 7回 2010年
3位 木更津総合 7回 2018年
3位 千葉商 7回 1977年

6位 県千葉※1 6回 1953年

7位 市船橋 5回 2007年
7位 拓大紅陵 5回 2002年

9位 千葉経大付 3回 2008年

10位 東海大浦安 2回 2000年
10位 我孫子 2回 1991年
10位 千葉敬愛※2 2回 1934年

13位 柏陵 1回 1999年
13位 印旛明誠※3 1回 1983年
13位 成東 1回 1989年
13位 市銚子 1回 1979年
13位 志学館 1回 1994年
13位 専大松戸 1回 2015年
13位 中央学院 1回 2018年
13位 銚子西 1回 1981年
13位 東海大市原望洋※4 1回 2014年
13位 八千代東 1回 2009年
13位 八千代松陰 1回 1998年
13位 千葉師範 1回 1926年

※年度は直近出場年
「直近出場時のチーム名」※1千葉一 ※2関東中 ※3印旛 ※4東海大望洋

 

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名勝負として名高い1973年夏・対作新学院(江川卓)

故斉藤一之氏のご逝去を起因とした 銚子商の低迷の原因(過去)を辿り、大会を通して直近のチーム事情(現在)を掘り下げてきました。

 次のチームのみならず、中長期の課題(未来)を展望してみます。

 

www.otonarashino.com

 

 >阿天坊OB会長、木樽喝入れ
してくれ!!
*この人物、初めて知りました。

 

 >コロコロ変えてねぇよ練習試合は。練習試合で経験させないでいきなり選手権で使うからいざと言う時に対応できない。みんな干物屋のの責任!
*干物屋???

 

>あ、最近久々に勝って来てるから宇井野以来に多古戦生観戦しに行ったら干物屋いた!まだいたんだ~って思った。まさか口出しまでやってんの?完全老害だな。木樽は自ら口出さないのに…

*このコメントを見たときに予感がしておりました。

春の準決勝・習志野戦で、同じ列の席で居合わせた、木樽氏の同期3名+その後輩のOB(高校時代の先輩3名の席取りをしていた。先輩3名は試合開始直前に到着した。)

 の情景が思い出されていた。

そして、同志のY氏が確信情報を提供してくれました。

 

阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 - )は、千葉県銚子市出身の元社会人野球の選手(内野手)。

 

来歴・人物

1965年、銚子商業高3年の時、夏の甲子園では遊撃手としてエース・木樽正明(のち東京,ロッテ)と共にチームの準優勝(決勝で、原貢監督〔原辰徳の父親〕率いる三池工業高に0-2で敗れた)に貢献した。

同年秋の第1回プロ野球ドラフト会議で南海ホークスより2位指名を受けるも入団拒否し、立教大学に進学。入学後すぐの1966年春季リーグ戦では、リーグ三冠王の槌田誠(のち巨人,ヤクルト),小川亨(のち近鉄),谷木恭平(のち中日),秋山重雄(のち近鉄)らと共に「2番・遊撃手」として立大の13季ぶりの優勝に貢献した。

大学卒業後は、1970年から新日本製鐵室蘭でプレーした。

その後、郷里の銚子市に帰り、実家の干物商「干物工房・あてんぼう」を引き継ぎ、代表取締役となった。また、地元のシニア野球チーム「銚子シニア」の会長も務めた。

 

 *銚子商の帽子をかぶっての観戦でした。

一際貫禄があり、「的確な」批評をしながら、時に「嘆いて」おりました。

「あー、それこないだ教えたのに。もう忘れている!」が印象的です。

何十年を経ても後輩として振る舞っていたOBが、私に頻繁に話しかけてきたので、

「今もご指導されているのですか」

「いいえ、現場に任しているので口出しはしていません」

や、秋の習志野戦・木樽氏の現在等の会話をしました。

試合中の的確な批評(問題点を把握している)を聞いておりましたので、

『銚子商が復活するためには、OBの助言を生かすべきだ』

との私の考えに繋がったのです。

 

【勝利の旗は】千葉県立銚子商業高校82【我を待つ】

のその後です。

 

2019/07/24(水) 14:04
木総気の毒だな-
審判の判定に泣いたな

 

花咲でイップスになったよね向後くん
これが誤算だった

 

銚子商が客入る客入る言われてた時代でも今の習志野の半分位しか入らないもんな。
平日に拓大ー銚子商の決勝でも12000人位だったもんな。平日準決勝で19000人は素直に凄いと思うし、習志野の場合会社休む価値がある試合をしてくれるから次々とファンになる

*この19000人という観客数が事実なら、下記に出てくる 

1972(昭和47)年夏の千葉大会準決勝。銚子商高vs成東高の25,000人を下回っています。

 

習志野の試合を市原臨海なんかでやったらパニックだろ。
客の入りが違うんだからしょうがない。春の準決勝見たか。殆ど習志野ファンで外野席埋めてたろ。夏にマリン以外で出来るとしたら天台球場くらい。
今年は使えないからしょうがない。決して習志野を甲子園に行かせたくてマリン専有してる訳では無い。集客力がずば抜けてるだけ

 

最後の試合中継なくて良かったんじゃねえか。マリンでやりたかったら運営に協力しろよ!斉藤さん亡くなってから役員に関係者誰もいねーだろ!

 

いや、10年ってのは目安で明確に決まってる訳ではない
小林は結果出してるから定年までやるだろ
澤田はあと2~3年で移動だろ
前任二人がゴミだったから良く見えてるだけで監督の能力としてはごく普通だもの
県銚でもお山でも何の結果出せなかったしな
あれは監督よりコーチとしてノック打ってるのが適所

 

国的にも習志野>>>>木更津総合>>成田=銚子商、市船>千葉商位の人気格差になってるから習志野特別扱いはしょうがないよ。動くお金が違う弱い時期が長過ぎだ

 

最近、本大会で下級生の投手をここまで使わなかった(使えなかった)年というのも、少ないな。
それだけまともな投手が居ないんだろうね。しばらくはまた低迷するじゃないの、これ。

 

悔しいが高校野球は教育の一環ではあるが興行でもある。習志野がナスパなんかで試合したら、それこそパニック。小林野球とブラスであれだけのカリスマ校になってしまったと言う事。
ここ20年位で準決勝習志野ー木更津総合位の熱い試合って一回も無いと思うぞ。
あって2005年の決勝だが試合のレベルと言う点では大分下がる。
その前は1995年の準決勝、決勝。
その前は1993年の準決勝
20年遡っても5試合も無い。

 

新チーム正捕手は居るのか?那須キャプテンは努力で、だんだん上手くなったけど12番の子は捕手キツイぞ
*加瀬泰雅(市川戦5番)

 

12番のキャッチボールのフォーム見て絶望感しかなかった。中学野球の控え一塁手みたいな感じだった

 

新チームは素材はそんなに悪くないからそこそこやる気がするよ、難題はピッチャーかも知れないけど練習試合を積めば二人くらい出てくるよ

 

習志野はの気迫は凄かった
習志野と木総はまさに千葉の伝統の一戦になりつつある

 

銚商は常勝時代の水準に戻さない限り、黄昏校として見られるだけ
ここ20年で、初戦敗退が多過ぎて、常に優勝を狙う指導をしていると思えない

 

必死で一生懸命やってりゃ良い学校に成り下がったWもうすでに千葉商業と同じ位置づけ

 

習志野が優勝か、昔は王者が商業で挑戦者が習志野だったな

*事実です
強かった時の思い出だけをもって迎えが来るのを待つよ
負け犬になると言い訳と愚痴しか出なくなる人生なんて先の長い
中学生の若者にとっちゃ夢のない話だよ

 

今はもう、どうにもならない時代になってるが低迷の要因ってせっかちなO Bの監督解任だよな。①黒川の成績で4年、②飯島で3年、③高野で1年。 (高野豊人?)
このあたりでもう歯車狂い出して④斉藤で歯車が修復しだした所の突然の解任
以降⑤石井3年、②-2飯島3年地元の二番手位の選手も来なくなって、よその地域から三番手位の選手を取らなくては成り立たなくなってる

この投稿で、多くの情報にたどり着きました。

 

1989年11月9日 斉藤一之監督ご逝去

 

黒川栄一1991年夏・準優勝、我孫子2-0銚子商

現館山総合監督・黒川栄一さんの銚子商監督時代(1991)の記事。この年黒川監督率いる銚子商は2回戦で小笠原道大(中日)擁する暁星国際を6-0完勝。5回戦で石井一久(元西武)擁する学館浦安に1-0の競り勝ちを収めるなどの快進撃で準優勝

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上記記事の抜粋;

銚子商のOBの中から、だれもが次の監督が出るものだと思っていたところ、決まったのが、まだ教員になりたての二十五歳の青年。「あいつに銚子商が任されるのか」と周囲から避難が多かった聞く。しかし黒川監督はそんなことはおくびにも出さないで、黙々と部員の指導に当たった。

 

「おれは銚子商の野球部だ。と肩で風を切るような部員が多かった。なめられないようにと、斉藤監督が殴る前に、いつも私が殴った」と当時を振り返る。「銚子商の野球部員だという前に、銚子商の生徒だということを徹底的に分からせた」。

 

斉藤監督の最高の理解者であり宿敵だった 松戸健・県高野連会長は「春、大敗したが、守りを鍛え、よくチームを立て直した。黒川君は斉藤さんと同じく、守備の重要さが分かっている人。エラーをしない、ベースランニングのうまいチームを作れたら、斉藤さんの野球を越えられると思う。それにしても、斉藤さんや私が高校野球の指導を始めた昭和三十七年に生まれた黒川君が、銚子商を率いるのも、何かの縁」とライバルの後継者にエールを送る。

 甲子園行きはならなかったが、この準優勝で黒川野球が開花した、と見る。斉藤監督から堂々と伝統校を引き継ぎ切ったといえるだろう。

 

「また頑張ります」息もピッタリの黒川栄一監督(左)と福本健一部長

 

男子顔負け女子応援部

 

*記事にある 県高野連元会長「松戸健」氏。遠い過去の記憶にあります。

 

訃報
松戸健さん 86歳=県高野連元会長 /千葉

毎日新聞2018年9月29日 地方版

 

 

われら、夢の甲子園・成東高校 汗と涙の十四年/著者・松戸健――高校野球・「監督本」特集

2014/7/1


野球王国・千葉の誕生


 松戸健という名前を聞いてピンときたら、なかなかの高校野球マニアでしょう。昭和40年代、千葉の高校野球が最もアツく、全国的にも強かったその時代、千葉県立成東高校野球部を率いていたのが、松戸健監督であります。


1965(昭和40)年・・・銚子商高/準優勝
1966(昭和41)年・・・出場なし
1967(昭和42)年・・・習志野高/優勝
1968(昭和43)年・・・千葉商高/2回戦敗退
1969(昭和44)年・・・出場なし
1970(昭和45)年・・・銚子商高/2回戦敗退
1971(昭和46)年・・・銚子商高/ベスト8
1972(昭和47)年・・・習志野高/1回戦敗退
1973(昭和48)年・・・銚子商高/ベスト8
1974(昭和49)年・・・銚子商高/優勝
1975(昭和50)年・・・習志野高/優勝


 1965(昭和40)年から1975(昭和50)年まで、夏の甲子園大会に出場した千葉のチームと甲子園での成績を一覧にすると、当時の千葉県のチームのレベルの高さがわかります。

 現在のように各都道府県から1~2校が出場できる時代ではなく、千葉大会で優勝しても、関東地方の各県の優勝校と甲子園出場を懸けて試合をしなければならない時代でありました。

 この状況でも11年間で9回も千葉県のチームが出場して、そのうち6回が甲子園ベスト8。さらに準優勝1回、全国制覇3回と、全国の高校野球界に「千葉」の名が響き渡ります。これが現在でも「野球王国・千葉」といわれる所以でもあります。

 

成東の闘将・松戸健


 そんな千葉の高校野球が熱かった時期、1962(昭和37)年に松戸監督は成東高野球部監督に就任しました。上記の通り、14年間の監督生活で、成東高は全国レベルの強豪校、銚子商高と習志野高が分厚い壁となり、甲子園には一度も出場する事ができませんでした。しかし、甲子園出場を目指して、銚子商高や習志野高の牙城を崩すべく選手を鍛え上げ、各校と死闘を演じます。その奮闘の記録が、この本にはしっかりと刻まれているのです。

 

宿敵の壁を破れず


 今でも語り継がれているのが、1972(昭和47)年夏の千葉大会準決勝。この年の春のセンバツにも出場してベスト4に残った銚子商高と、後にプロ入りして中日で活躍する豪腕・鈴木孝政を擁した成東高が激突しました。

 千葉市天台にある県営球場のスタンドは25,000人の大観衆で身動きできないほどの超満員。試合はともに譲らず1点を争う好ゲームとなりました。試合が動いたのは8回裏、銚子商高の攻撃。鈴木と投げ合う根本隆が三塁打を放ち、銚子商高はスクイズで虎の子の1点を奪います。そして9回表を締めてゲームセット。成東高の松戸監督は、好投手・鈴木を擁して甲子園出場を狙っていたこの年、銚子商高の厚い壁を破ることができなかったのでした。

 

因縁は続くよ、どこまでも……


 その後も成東高と銚子商高の因縁は続きます。翌年の1973(昭和48)年夏の大会も同じ準決勝で両校は激突し、スコアも同じ0-1で成東高は敗れます。1974(昭和49)年は1点を奪うも1-1の同点から延長11回に勝ち越され、1-2で銚子商高が勝利。ちなみに、この年の夏の甲子園で銚子商高は全国制覇を果たします

 そして1975(昭和50)年、千葉大会四回戦で銚子商高に1-2で敗れた成東高。この日で、松戸監督は成東高の野球部監督を辞任して、監督生活に別れを告げたのでした。4年連続で銚子商高に敗れ、甲子園に出場できなかった成東高は「悲運の成東」とも呼ばれました。前述したように甲子園の舞台でも千葉勢が強さをみせていただけに、仮に松戸監督率いる成東高が甲子園に出場したら、相当の活躍ができたのではないか……という高校野球ファンも多かったといいます。

 

感動的な閉会式が!


 その後、時代は過ぎて昭和から平成へ。成東高は1988(平成元)年、悲願の甲子園初出場を果たします。後にヤクルトに入団するエース・押尾健一全7試合を1人で投げ切り、決勝でも拓大紅陵高を5安打完封、1-0で勝利し、約20年越しの甲子園への切符をつかみました。

 さらにドラマには続きがあります。このときの千葉県高等学校野球連盟の会長が、なんと松戸健その人だったのです。甲子園出場を決めた成東高ナインに対して、優勝旗を授与する松戸会長。監督時代の無念を知っている千葉の高校野球ファンは、スタンドから大きな拍手を送り、感動的な閉会式になったことは、今でも語り草になっています。

 最後になりますが、この本の帯が泣かせます。『甲子園は今年もダメだった!』とデカデカと記され、さらには「宿敵・銚子商、習志野高の厚い壁に夢破れ、悲運に泣く成東高――甲子園への予約切符はどこにもない!」と仰々しく書かれています。

 その通り、甲子園への予約切符はどこにもありません。だからこそ、毎年のようにドラマが生まれ、成東高の松戸監督のような伝説が生まれるのでしょう。果たして、今年はどんなドラマが生まれるのか……。読者の皆さんもそれを楽しみにしながら、高校野球シーズンに突入しましょう!

 

 

② 飯島 孝則 <銚子商監督>

カテゴリ:監督データ

甲子園出場2回 6勝2敗

☆銚子商
1995年 夏 ○○●【3回戦】
1995年 春 ○○○○●【準優勝

 

④ 故斉藤俊之監督(2001年~2009年夏

 

⑤ 石井毅 

 第47回 県立銚子商業高等学校(千葉)
2011年11月23日


野球王国・千葉県が誇る伝統校・銚子商。

 1900年(明治33年)に創部し、今年創部111年目を迎える長い歴史を持つ。1952年春(昭和27年)に甲子園初出場。1965年夏には、ロッテで活躍した木樽正明投手を擁し甲子園準優勝し、銚子商の名を全国に轟かせた。1974年夏には全国制覇も果たした。

 以降、銚子商は千葉県をリードする存在となり、春・夏合わせて20回出場した甲子園では39勝19敗の実績を残している。出場回数と勝利数はいずれも千葉県最多である。

 しかし昨今は、県内でも上位進出に苦しんでいる。この夏は3回戦敗退、秋も2回戦で敗退。それでも、銚子商は“古豪復活を目指し、新たな取り組みで鍛え続けている。

 


自ら考え、自ら動ける選手を育てる

 

 

"県立銚子商業高校野球部監督・石井毅"


今の選手と昔の選手と違うのは、自分で考えられる選手が減ったことです。私たちの時代の選手は専任のコーチもいなかったし、先輩の技術を盗んだり、聞いたりして、自分で考える時代でした。今は手取り足取り。その指導では自分で考えられる選手になることができないのです」

 そう話す銚子商の石井毅監督。

 石井監督は1970年に同校に入学。在学中には1971年夏にベスト8、1972年春の選抜でベスト4を経験した。同期には西武でスコアラーを務める根本隆がいる。

 卒業後、専修大に進学するも、途中で選手の道を諦め、教職免許を取得。卒業後は県内の公立校に着任し、09年秋に母校に戻ってきた。監督に就任して3年が経った今、改めて昔の選手と今の選手との違いを痛感しているという。

「選手たちのユニフォームを見てください。いつも綺麗でしょう。私たちの時代は、ユニフォームは自分で洗っていたので、ユニフォームが汚いまま次の日の練習に臨むことがありました。だけど、今は家事は親に任せて、自分は野球を思う存分やればいればいいという家庭が多いのではないでしょうか」

 そういう時代であるならば――石井監督は、せめて野球部では自分のことは自分でやる。自分から気付いて動く習慣をつけようと考えていった。

 


そこで、石井監督が就任してすぐに始めたのは、この2つだ。

 気付く感性を養うために「朝のゴミ拾い」と、「少人数制の合宿」である。最近は、地域のゴミ拾いを野球部で取り組むチームは増えてきたが、銚子商もまた継続していくにつれてチームに変化が起きた。

 石井監督が就任2年目の昨シーズンは、銚子商は春季大会(2010年春季千葉県大会)で準優勝を収め、関東大会(第62回関東地区高校野球大会)に出場しているが、やはり、その時のメンバーは落ちているゴミに気付く力も高かったという。

「始めた時はみんな意欲を持ってやっていました。ですから、見つけにくいゴミを見つけてくる。でも、結果が出ない時というのは、惰性でやっているわけではないと思いますが、見落とすゴミが多かったですね。何の目的を持ってやっているのかが、見えないのでしょう」だからこそ、石井監督は何度も何度もゴミを拾うことの意味を説いていくのだ。

 そして、少人数で実施する合宿もまた、強いチームであるためには大事な取り組みとなっている。この合宿は、強化合宿とは違い、自分で考えて動くことを目的にしているものだ。毎回7~8人の部員が、炊事と洗濯を自分たちで行い、練習開始までの過ごし方も自分たちで時間を逆算しながら決めていく。

「炊事、洗濯、夕飯、自主練習の時間は、すべて選手で決めさせます。私から何も言いません。とにかく自分で考えて行動させます」


 この合宿で指導者が関与することは、ほぼない。それでも、部員らが炊事をする姿はぎこちなく、思わず心配になることもあるようだ。

 なかには、ユニフォームの洗濯を初めて自分で行った選手もいる。自ら考え行動する習慣こそが、実際に野球のプレーで生かされていく。もちろん、銚子商野球部が取り組んでいる活動は全てはプレーのためだけではない。

 一番の目的は、親への感謝の気持ちを持つこと。銚子商の主将・江ヶ崎柔も、この合宿を通じてこんなことを感じている。

「今までは、ユニフォームの洗濯も自分でやったことはなくて、親にやっていただいていたことばかりでした(自分で実際にやってみて)こんなに大変なものなんだと思いましたし、今は親には本当に感謝しています」。

 こういった取り組みで、銚子商は人間としての感性を磨くだけではなく、体の使い方を学ぶために「プレートトレーニング」を取り入れたり、盛岡大附、仙台育英、一関学院、花巻東など全国クラスの強豪校と練習試合で対戦することで、野球の技術だけでなく、強いチームにある雰囲気や姿勢、取り組み方を選手自身で学んでいるのだ。

 


新たな伝統を築き始める


 ここ銚子商のグラウンドに足を運ぶと、一昔前と変わることない風景があることに気付く。それは、グラウンド上の土手沿いに並ぶ銚子商野球部のファンの多さである。

 平日でさえ、毎日40人前後のファンが詰めかけ、練習試合になると多い時は200人以上を超えることもある。もちろん遠征先でもだ。
 ファンの層は、銚子商の全盛期を知る60代~70代の方が多い。選手たちへ叱咤激励する声に入部したばかりの部員は最初は戸惑いを見せることもあるというが、ここまで熱心に声を掛け続けてくれるファンの存在に次第に、ありがたい思いが増していくという。

 「私はこれまでも県立高校の監督を務めてきましたが、平日からファンの方がこんなに多く詰め掛けることはなかったです。多くの人が来てくれているのはそれだけ銚子商が地域に根差している証だと思いますし、ありがたいですね」(石井監督)

 これほどまで伝統ある銚子商で「甲子園を目指したい」という高い志を持つ選手が毎年多く入部してくる。以下は現役の部員たちの声だ。

「憧れの銚子商で野球をやりたかった」(2年・江ヶ崎 柔)
「銚子商は僕にとって地元で身近な存在。強くしたかった」(2年・伊藤 欣史)
「伝統ある銚子商で野球がやりたかった」(1年・宇井野 一真)

 他にも、05年に甲子園出場を果たした際に、入部を目指した部員もいる。
「銚子商が甲子園(2005年)に出場した時に先輩たちに憧れて入学しました」(1年・岩田 友樹)

 昔も今も、銚子市を中心とした地元の野球少年にとって、銚子商は憧れの存在なのだ。しかし、そんな銚子商にとって長年のライバルであった習志野が、2009年選抜に出場すると、今年の夏には甲子園でベスト8に進出。同じく古豪復活を遂げているライバル校の存在に銚子商の選手たちは刺激を受けている。

 


古豪復活のためのキーマン


 最後に“古豪復活”に向けて欠かせない、今チームのキーマンを紹介しよう。

 エースの木内 大樹は、182センチ75キロ。手足が長く投手らしい体型をしている。中学時代(銚子六中)は捕手。高校から投手を始めた。長い腕を生かしたオーバーハンドから繰り出す速球は最速135キロ。角度のある直球が自慢だ。

「投手として素質は良いものを持っています。ただ、姿勢は真面目ですが、まだ自分を追い込んで限界に挑戦することがない。この冬はいかに自分を厳しくして取り組むことができるかにかかっています」(石井監督)

秋季県大会では、背番号1をつけて臨んだ木内。船橋芝山戦(2011年09月23日)では5回まで無失点ながらも不安定な投球でマウンドを降りた。エースとして完投できなかったことを反省している木内。

「エースは最後まで投げ通すもの。だから信頼される投手になりたい」。この冬、自分を追い込んで体を鍛え上げ、目標である「最速145キロ&千葉県NO.1投手」を目指す。

 もう一人のエース候補である1年生の岩田友樹銚子四中)。新チーム直後はエースとして期待をかけられ、地区予選では背番号1を背負ったものの、右肩の故障のため戦線離脱した。岩田は177センチ82キロという恵まれた体格で、中学時代から軟式で135キロを投げていた。しかし、彼にはこの秋まで課題があった。体が硬く柔軟性がなかったことだ。そのため、体の力をボールに伝えることができなかった。

 この秋の岩田の投球フォームは、キャッチボールで投げるような軽い投げ方で、ダイナミックさはなかった。軽く投げないと体を制御できなかったからだ。今は右肩のリハビリとともに、柔軟体操に取り組んでいる。

「岩田は横に太い体型に見えますが、意外にジャンプ力、瞬発力に長けているんですよ。投手にとってその2つは大事な項目ですからね」

 石井監督が驚くほどの運動能力を持っている岩田は、この冬は体の柔軟性を高め、体を大きく使えるようになれば、下半身の力をしっかりとボールに伝えられる投手に成長するだろう。来春の岩田のピッチングが楽しみだ。

 
 クリーンナップに座るのは、3番本田光希(2年・神栖)、4番江ヶ崎柔(2年・旭第二)、5番稲村竜孔(2年・八日市場一)。
 本田は、チームの中で最も長打力のある選手。腕っ節の強さを生かした打撃スタイルで、この日の練習で行われたロングティーでは長い木のバットに振り負けることなく、力強い打球を飛ばしていた。江ヶ崎は、秋季千葉県大会の1回戦・船橋芝山戦でタイムリーを打つ活躍を見せたが、この冬は打撃の力強さを高めることを目標にしている。5番稲村もまた船橋芝山戦で、走者一掃となる右中間へ長打を打ち、期待をかけられる選手の一人だ。中心となる選手たちの成長が相乗効果となって、ひと冬かけてチーム全体の底上げを図っていく。

 千葉の古豪復活へ――オールドファンの温かい声援を受けながら、銚子商ナインは新たな伝統を築きあげていく。

(文=編集部:河嶋 宗一)

このチームの戦績

2012年春:2回戦・柏日体4-1銚子商

2012年夏:2回戦・千葉経大付8-7銚子商

2012年秋:決勝・習志野1-0銚子商⇒関東大会1回戦・浦和学院3-0銚子商

2013年春:準決勝・専大松戸5-3銚子商

2013年夏:2回戦・東洋5--2銚子商 *ここから4年連続夏緒戦負け

 

 

 ②-2 飯島 孝則  *二度目

2014.7.14 05:01

銚子商、春からチーム改革も2年連続初戦で涙/千葉

 第96回全国高校野球選手権千葉大会(13日、拓大紅陵3-1銚子商、ゼットエーボールパーク)銚子商は4月に飯島新監督、元ロッテの木樽正明氏の新コーチ就任で名門復活を目指したが、4安打1得点で昨年に続き初戦で散った。「選手にはいろんなことを変えて4カ月ついてきてくれ、勝たしてやれなくて申し訳ない、と伝えた」と飯島監督。あいさつなど生活の基本から見直したが、本格的な復活へは時間がかかりそうだ。

 

 2015年7月10日の記事から

県予選抽選会前日の練習後、監督の飯島孝則(51)が雷を落とした。使用したボールの数が足りなかったからだ。緻密な野球のため、一球一球を大切にする銚商では許されないことだ。

 「いい環境で練習させてやりたい。でも監督に止められている。なぜだか分かるだろう」

 木樽は、新品のボールはあるが、あえて使わない監督の方針を選手たちに伝え、その意味を考えさせた。「指揮官は監督で自分はコーチ。船頭が多いと一貫性が失われ、斉藤イズムは伝えられないから

 一九八五年以来、銚商は十年周期で甲子園に出ている。ことしは前回の出場から十年。木樽のコーチ就任もあり、市外からの入学者も増えた。市民の期待も高まっている。だが木樽は「復活にはまだまだ時間がかかる」と先を見据える。

 「天職の野球で大好きな銚子市、商業に貢献できる。本当にやりがいがある。この街で死ぬまで野球に関わりたい」 

 

2015年07月14日 21:30
千葉の名門・銚子商が3年連続で初戦敗退

◆第97回全国高校野球選手権千葉大会 ▽2回戦 東海大浦安6―5銚子商(14日・柏の葉公園)

74年夏の全国制覇を含む春夏通算20度の甲子園出場を誇る名門・銚子商が、東海大浦安に
競り負けて3年連続で初戦で姿を消した。

00年夏の甲子園で準優勝している実力校との対戦は、初回に1点ずつ取り合うと、東海大浦安が
3回に1点、6回に3点を挙げてリードを最大4点まで広げた。銚子商は6、7、8回に1点、2点、1点と
かえして同点にする粘りを見せたが、9回に勝ち越され、力尽きた。

銚子商は、95年センバツ準優勝時に指揮を執った飯島孝則監督が、昨年4月に復帰。元ロッテ投手の
木樽正明氏がコーチを務めるなど名門復活を目指してきた。85年夏、95年春夏、2005年夏と、
10年周期で甲子園出場を続けていた好データも、低迷脱出の後押しにはならなかった。

 


元ロッテ・澤井良輔 現役時代の思い出は2002年開幕戦スタメン出場/パンチ佐藤の漢の背中!「1」

2018年12月15日(土)

 

パンチ 俺らのころはまだ銚子商も強くてね。関東大会で対戦してるんだよ。銚子は大漁旗で応援でしょ。(母校)武相もお互い元気な学校だから、スタンドでケンカになっちゃってさ。応援団同士がそのくらい熱かったの(笑)。なんで低迷しちゃったの?

 

澤井 斉藤(斉藤一之)監督がお辞めになった後、監督が次々代わりまして。それで僕らの代になった秋、成績不振から「一からやる」ということで、篠塚(篠塚和典)さんのころコーチだった高野(高野豊人)さんが戻ってきたんです。

 

パンチ そこ、聞きたいなあ。その方はどんな指導をしたの?

澤井 まず、「アップシューズを履くな」。アップシューズで野球はしないから、最初からスパイクを履け、と。それから、「(グラウンドを)右回りで50周してこい」。50周走って、キャプテンが「終わりました」と報告しに行くと、「右が終わったってことは?」。で、左回りを50周。アップだけで100周です。ポール間のダッシュも10本とかではなく、「時計の針がぐるっと1周するまで走っとけ」といった具合。午後は個人ノックで、バッティング練習はしない。それをほぼ1カ月です。「甲子園に行くから」とだけ、口酸っぱく言われていました。

パンチ それで、どうして試合に勝っていけたの?

澤井 実際、センバツ準優勝ですからね。だけど秋の千葉県大会は初戦、8回まで2対8で負けていたんですよ。「これで負けたら、この冬どんだけ走るんだよ」と言って、「絶対ひっくり返すぞ!」と奮い立ったのは覚えています。とにかく練習はつらかったけど、今もみんなで集まるたびに、「あれで甲子園に行ったんだな」って話になりますよ。

パンチ その練習が実って、3年の春夏甲子園出場。そこからドラフト1位だもんね。プロでの最高の思い出は、なんですか?

 

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銚子商ファンのコメントから、細い糸を辿る、情報収集を可能になりました。

 

① 

故斉藤一之氏からバトンを受けた「黒川栄一」元監督は、赴任先でも評価の高い人物のようです。この将来性豊かな青年監督は、銚子商OBではありませんでした

 また、この時期は千葉県高野連と「良好」な関係にあった事が分かります。

*このブログでは、上層部が朝日新聞の天下りの巣窟である「高野連」は排斥すべき組織と主張しております。

松戸健に関しては、別物であったと推測します。

 なぜなら、高校野球を知り尽くした名将(経験者)であり、抽選会で朝日新聞のスピーカーとして振る舞った元教員(朝日新聞と親和性の高い「日教組」出身者が多いと推測している)の県高野連幹部とは比較になりません。

松戸氏が千葉県高野連会長の期間は、まっとうな運営がされていただろうと確信いたします。

www.sankei.com

 

 >また頑張ります」息もピッタリの黒川栄一監督(左)と福本健一部長

しっかりとしたサポート役の存在が窺えます。

 

>男子顔負け女子応援部

正確に、銚子商応援団を指しているか分かりませんが、市川戦における女子バトン部の応援とは、実に対照的です。

 

 

②-2

元ロッテ・澤井良輔を擁して、1995年 選抜【準優勝】の実績を持つ、飯島 孝則氏が、2014年4月に復帰。木樽正明氏の新コーチ就任で名門復活を目指したが、逆に「暗黒期」に突入した。

 

石井毅氏の経歴は、OBとして申し分のないもの。

1970年に銚子商に入学。在学中には1971年夏にベスト8、1972年春の選抜でベスト4を経験した

選手とのジェネレーションギャップを、「具体的」に理解して、

 「自分で考える」「自分を追い込んで限界に挑戦する」選手の育成に努めた。

>2012年秋:決勝・習志野1-0銚子商⇒関東大会1回戦・浦和学院3-0銚子商
>2013年春:準決勝・専大松戸5-3銚子商

と、時間をかけて結果を出すが、


>2013年夏:2回戦・東洋5--2銚子商 *ここから4年連続夏緒戦負け

この予想外の敗北で躓き、飯島氏復帰となった。

 

③澤井氏のコメントから、

>斉藤(斉藤一之)監督がお辞めになった後、監督が次々代わりまして。それで僕らの代になった秋、成績不振から「一からやる」ということで篠塚(篠塚和典)さんのころコーチだった高野(高野豊人)さんが戻ってきたんです。 

コーチとして、全国優勝の経験を持つ、高野豊人氏の復帰が、当時の飯島監督を支え、1995年選抜準優勝、夏甲子園出場に繋がったことが分かる。

一期目の飯島監督の後を引き継いだのは、この高野氏だろう。

就任期間1年である事から、ピンチヒッターとして、「切り札」斉藤俊之氏に禅譲したと推測される。

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細い糸を辿ったため、推測も加えた。

この経緯から見えてくるのは、

 ・ 既に純血主義(銚子商OB)を試した。

しかも、斉藤一之氏の教え子で、選手としての実績ある監督だった。

しかし、「復活」には至らなかった。

OBのみにこだわるのではなく、外部から血を入れる事も含めた柔軟な監督人事が求められる。(OBを否定するものではない)

 

・ 澤田監督のサポート役を再考すべき。

強豪校(結果を出していた)の時には、必ず優秀なサポート役が存在した。

遠藤投手コーチは、明らかに優秀な投手を育成できていない。

その人物は、澤田氏にとっての大先輩ではなく、年齢は近く、OB会とのパイプ役が出来る人物。この役こそ「外部」が適当。

先輩・後輩の枠では、合ってはならない遠慮が生じてしまう。

 

・ 千葉県高野連とのパイプを再構築する必要がある。この役割こそ、OB会ではないのか。また、銚子市(議員)の政治的動きも必要だ。

 

・ 選手供給先としての銚子市立中学との一掃の連携。アドバイザーとしての木樽氏の動きは「広く浅く」のはずであり、何より俊之氏の子「之将」氏が銚子中の監督である。

 

・ 阿天坊会長から次の世代への「実権」の引き継ぎ。現場が若い監督であり、選手の世代ギャップが深更している実情に合わせていく必要がある。(甘やかすという意味ではなく、やり方を変えていかなければならない)

 

・ 魅力ある「銚子商」=甲子園に出場できる

を実現するため、銚子市の衰退と切り離す「劇薬」が一度必要になる。

強いシニアチームの選手を丸ごと受け入れて、6年計画で育成するなど。

そのためには、OBを含めた一層の中学生指導者との関係作りが不可欠。

スカウティングの強化は、この時代欠かせない。

強豪校orそれを目指している新興勢力の「草刈場」になっている銚子市立中学では話にならない。

 

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【勝利の旗は】千葉県立銚子商業高校82【我を待つ】の続き

 


2019/07/26(金) 10:02
少なくとも暗黒期は脱している。
今年のようなそこそこの成績が続いたら、ユニを評価の高いグレーに戻す。
見た目の格好良さは大事だからね。
そして、学年にもう一人か二人でも、強豪校が狙っているような選手を獲得できるようになれば、チャンスはある。

 

獲得できないから弱いんだろ
銚商ぢゃ有望なコはこねーだろw

 

お隣茨城で商業もよく練習試合するチームの監督で有能だなと思うのは土浦日大小菅さん
常総でコーチした後、赴任した無名の伊那で県大会準優勝、下妻二で甲子園
低迷してた土浦日大もすっかり強豪に
それと常磐大の海老澤さん
水戸桜の牧を強豪にして常磐大に引き抜かれたらあっという間に準優勝校に
OBなんかにこだわる必要なんか1ミリも無いから有能な監督連れてこいってこと

 

コーチは仲田兄弟を派遣した方がいいよ。
人徳はあるし、指導力もある。
2人ともタイプは違うが、素晴らしい選手だったし、指導者として楽しみな2人だよ。

 

しかし、明らかに銚子商業より成田の方が強いな

 

プラスで投手コーチもほしい

 

公立から私立だったらいいが私立から公立はしんどいだろ
OBに復活を求めても無理だろ、いまのOBの指導者に甲子園に連れて行った
経験と実績のあるOBはいるの、商業は永久に過去の栄光のプライドだけでは
千葉のてっぺんにはたてないよ、なぜかってか今の商業は力もないのに
周りの期待が大きすぎるわ、黒潮打線はこつこつ積み上げててっぺんめざせ

 

高校野球って結局スカウティングなんだよ
指導だ育成だって言うのもいるけどそれなら強豪校が逸材獲りあうわけ無いわな
まあ、逸材が来るためにはいい監督がいるのが最低条件だけど
中学生側もよく判ってて飯島が監督だと部員数が激減したのがいい例
そんな意味では今の三年はよく入ってくれたと思うし頑張ったよ

 

2019/07/27(土) 15:38

 銚子のような地の果てにある高校にわざわざ遠くから来るヤツなんていない。
その通りだと思うけど。

 

 居るよ?
君津や千葉市近郊、都内からも
名門銚子商業の門を叩く有志は居る。

 

 私立強豪校から比べたら圧倒的に少ないだろ
同じ場所でも昔のように強ければもっと集まるんだろうけど

 

横浜からも来てる。
有り難いことです!応援してっからね!

 

2019/07/27(土) 19:19

商業の復活を本気で目指すならまずやるべきことは
地元の中学生の強化。

OBが中学、シニアの指導者と連携して実績を残す。
そしてそれらの選手を商業に送り込む。
このサイクルが絶対必要条件。

OB立ち上がれ!

 

県で準優勝した銚子中には、商業に入ってくれそうな子はいないのかな?

 

悪い事は言わん!早く県銚子と統合して普通科を作らないと子供達が集まらん!商業科、海洋科を残しての話だがな。

 

高知商業には特進コースがあって国公立大や私立の大学へ進学してるね。

 

2019/07/28(日) 07:07

高岡商が甲子園。広島商、高松商、倉敷商が決勝まで進んだね。特に広島商は甲子園なら、本当に久々。
前橋商、水戸商も頑張った。大分商はあの明豊に勝って決勝進出。最近は低迷気味な商業高校に頑張って欲しい。

 

2019/07/28(日) 21:37

ダイジェストの最後に三年生泣き崩れてた姿見て本気で甲子園目指してたんだなぁと思ったよ。
秋春と夏の西武台戦楽しませてくれた今年の代は感謝しか無いな。

 

<コメント>

「続き」については、私が自分の見解を既述する前に、一読していたわけではありません。敗退を受けた銚子商ファンが、復活のために導いた提言です。

育成も大切ですが、素材を集める努力が求められると言うことです。

 

松戸健氏

>黒川君は斉藤さんと同じく、守備の重要さが分かっている人。エラーをしない、ベースランニングのうまいチームを作れたら、斉藤さんの野球を越えられると思う。

 

これはこのまま、今回のチームに足りなかったものを言い当てているのは偶然でしょうか。

 

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